2008-08-07

ロマネスク教会を巡る旅・ブランシオン(Brancion)・サン・ピエール教会

Brancion1ブルゴーニュ地方の小高い丘にある小さな村、ブランシオン(Brancion)

Brancion11村の最も奥まった場所、かつ最も高い場所に、ロマネスク様式のサン・ピエール教会が建っています。

Brancion5栄華を極めた時期もあったそうですが、過疎化が進み、現在村の住民はたった4人だそうです。
Brancion12

Brancion2丘の上につつましく立っているサン・ピエール教会

装飾のない入口や、この土地でとれる茶系の粗く素朴な石材を丁寧に積み重ねた壁面から感じられる威厳、存在感、質実剛健さは、シトー会の教会に通じるものがあります。

12世紀に建造されたこの教会を、村の人々は800年以上もの長い間守り続けてきました。
Brancion7

Brancion13建物全体の屋根、鐘楼の屋根も薄い平石材を積み重ねたロマネスク様式の典型的な仕様で、とても丁寧に仕上げられています。

Brancion10入口から内陣までの奥行は約30mと内部は決して大きくなく、彫刻などの装飾はありません。

側廊と内陣には14世紀以降に描かれたとされる聖人アブラハム、伝道師達や巡礼者達のフレスコ画が描かれています。

Brancion3照明を控えた薄暗い内部全体には素朴な暖かみがあり、建物の重量感が優しく包みこんでくれるような、居心地のよい空間です。

敷石は、訪れる村人たちによって何世紀にも渡って踏みしめられ靴底で磨かれた結果、深い光沢を有しています。

敷石に入口からの光が美しく反射しているさまは、長い歴史を持つ教会だけが醸し出すことのできる、幻想的な光景です。

Brancion14この教会には二度訪れましたが、いつも立ち去りがたい気持ちにさせてくれる、魅力的な教会です。

Brancion4教会のある丘の上からは、すぐ下の民家10軒ほどの村をはじめ、延々と続く美しいブルゴーニュの平原と緑濃い林、そして遠く数km先の隣の村などの見事な眺めを独り占めできます。

Brancion6次の村に向かいます。

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〔フランスの最も美しい村〕サン・シル・ラポピー(St-Cirq Lapopie)

Ete92_2村の入口に「フランスの最も美しい村」の看板が見えてきました。
「Cite Fleurie(花で飾られた村)」という看板も。

Ete93サン・シル・ラポピー(St- Cirq Lapopie)は川沿いの崖の上に建つ「フランスの最も美しい村」です。

ロット川が前面に流れ、その縁の絶壁上にお城、教会、村があります。サン・シル・ラポピーという名前の響きが可愛らしいので、ずっと気になっていました。

Ete94この可愛らしい響きをもつ名前は、村の領主だったラポピー子爵家に由来するそうです。

Ete96小さくて可愛らしい村です。

Ete98村の中は石造りの家、カフェ、アトリエ、レストランが立ち並びます。

Ete97ワイン博物館。葡萄のマスタードとレーズンチョコが人気だそうです。

Ete103村の一番高い城跡は展望台になっています。

かつては対岸の敵の動きを見下ろしていた抜群の要塞地だったそうです。

絵本のような美しい景色。

Ete102村の地図を見ながら、

Ete101村全体を見下ろせます。

Ete104撮る写真すべてが絵になってしまうおとぎの国。

Ete105崖っぷちにたっているサン・シル教会

Ete106遠くまで続く緑とロット川。名前の響き通り可愛らしい村でした。

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2008-08-06

陶器の破片で出来た可愛らしいピカシエットの家(Maison Picassiette)

Picassiette17シャルトルの中心から車で10分ほどのシャルトル生まれのレイモン・イジドールさんが30年ほどの年月をかけてコツコツと作ったピカシエットの家(Maison Picassiette)。

ピカシエットとは、食事時に人の家を訪ねてご馳走になる人、物をもらい集める人のことを指すそうです。

Picassiette01この家は壁、家具、庭すべて陶器の破片で出来ています。

Picassiette02レイモン・イジドールさんはアーティストではなく、この家の近くで墓守をしていた人です。

Picassiette0330歳の時からお墓に落ちていた花瓶やお皿の破片を集めては家の外壁、内壁、庭にいたるまでモザイク状に張り続け、亡くなるまでの30年ほどの年月をその作業に費やしたそうです。

Picassiette10この家は未完成なのだそうですが、彼の死後20年近くたった1983年に素朴派芸術として歴史的記念物に指定され、多くの観光客を呼んでいるそうです。廃物利用を芸術にまで昇華させています。

Picassiette04中庭。緑ともなかなか合っています。

Picassiette07エッフェル塔もあります。

Picassiette14_2界の有名な建造物。イジドールさんの根気に感服します。

Picassiette15_2モンサンミッシェルもあります。使ったガラス片や陶器のかけらは15トンにも及ぶそうです。

Picassiette09そして真ん中の堂々と刻まれているのは、やはりシャルトル市民が誇るシャルトル大聖堂

Picassiette16イジドールさんは敬虔なクリスチャンだったそうで、聖書のモチーフが多かったです。

Picassiette12じっくりみると色々な破片が。

Picassiette13中華系の食器も!

Picassiette11名前の由来は、picasso(ピカソ)+assiette(お皿)という説もあるそうです。イシドールさんの情熱あふれるメルヘンチックな家のおかげで、すっかり楽しい気分になれました。

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2008-08-05

夏の夜にステンドグラスになる世界遺産・シャルトル大聖堂

Chartre35 シャルトル(Chartre)に行きました。

朝靄の中のフランスが誇るゴシック建築の最高峰(「シャルトルを見ずして、ゴシックを語ることなかれ」と言われています)シャルトル大聖堂(世界遺産)。大聖堂は東西南北を正確に向いた十字架の形をしており、方角によって時間の秩序を表しています。威厳と静けさを感じます。

Chartre04_2聖堂の西側の正面。今から800年ほど前、この大聖堂が建てられ始めた頃の一番古い部分だそうです。
完成に百年以上かけるのが当たり前だった時代に、王侯貴族から一般庶民、老いも若きも皆で協力して、この大聖堂を60年ほどで造り上げたそうです。

Chartre011194年の大火で大きく破損し、その後修復されたためロマネスク様式とゴシック様式が混在しています。

Chartre02向かって右のシンプルな尖塔がロマネスク様式。左はフランボワイアン(火炎型)のゴシック様式の鐘楼です。
様式も違えば高さも違うのに不思議と違和感がありません。

12世紀後半から13世紀のゴシック建築全盛期に造られた大聖堂で、建築、彫刻、ステンドグラスがほぼそのまま残っているのはシャルトルだけだそうです。

Chartre23ゴシック建築の特徴であるフライングバットレスとそれに連なる控え壁。
巨大な聖堂を支える工夫です。

シャルトルをしばしば訪れ、大聖堂を「フランスのアクロポリス」と呼んだロダンは、シャルトルの重厚な控え壁を「大聖堂を祈りの姿勢で支える忠実で力強い友人」と評しています。

Chartre21残念ながら修復中でしたが、聖堂正面の扉口は「王の扉口」と呼ばれ、扉口を飾る預言者や聖人達からなる人像柱は、ロマネスク末期の優れた彫刻です。中央に威厳に満ちたキリストが座し、四福音史家をそれぞれ象徴する動物がキリストを囲んでいます。
Chartre22午後の方が日が入って美しいと聞いていましたが、観光客が大変多いと聞いていたので、朝一番に訪れました。シャルトルの天井は高さ37mです。
シャルトルの堂内が暗いのは、12世紀から13世紀のステンドグラスがほとんどだからだそうです。

Chartre19_2内陣を囲む彫刻壁(16世紀)。ステンドグラスに限らず、彫刻にも物語が描かれています。シャルトル大聖堂には彫刻が4272体あるそうです。

Chartre18内陣の大理石の聖母被昇天像(18世紀)。

Chartre06身廊の床の聖地エルサレムへの困難な道を象徴する巨大なラビリンス(迷宮)。

黒石と、石灰石の白い石でつくられたものだそうです。かつての信者達はこの円周13m、中心までの約262mの迷路を膝まづいてたどったそうです。

中世の大聖堂にはほとんどあったものだそうですが、ほとんど崩壊してしまい、現在残っているのは、シャルトル、ランス、アミアンの3箇所のみだそうです。

ファサードを身廊側にばたんと倒したら、薔薇窓の中心が迷路の中心にちょうど重なるそうです。

Chartre05シャルトル大聖堂がゴシック建築の最高峰と言われる理由の一つは、質・量ともに優れたステンドグラスです。

総面積2000メートルを越えるステンドグラスが聖堂を飾っています。

この三連のステンドグラスは大聖堂最古のものでキリスト教教義の集約というべきもので、右がキリストの系図を示すエッサイの樹、中央がキリストの生涯、左がキリストの死と復活を表しているそうです。
Chartre09シャルトル大聖堂は第二次世界大戦の戦火を免れました。

当時、町の人々が協力してステンドグラスを取り外し、安全な場所へ違う場所に避難させ、戦後何年もかかって再び元通りに取り付けたそうです。
これだけ高い建物ですから、どれほど大変な作業だったか、想像がつきません。
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Chartre10ゴシック様式初期のこの薔薇窓も息を飲む美しさです。
Chartre11日が差すと万華鏡のような美しさです。
Chartre13左のステンドガラスが、12世紀の傑作「美しき絵ガラスの聖母」。
Chartre14キリストを抱く聖母マリアの姿が描かれています。

聖母子を描いた12世紀のガラス3枚を、13世紀のガラスに組み合わせたものだそうです。 確かに12世紀のガラスのほうが透明度が高かったです。

この特に澄んだ青色がシャルトルブルーと呼ばれていて、この青色を出すため、顔料になるコバルトを中東まで買いにいったそうです。この微妙な色合いは現代の技術をもってしても難しいそうです。

13世紀になって建築技術がすすみ、窓が大きくとれるようになると、高価な顔料ではまかないきれず、地元でとれる顔料を使ったそうです。

Chartre15「旧約聖書」の預言者が描かれています。

ステンドグラスは、文字の読めない人が多かった時代に、人々に聖書の物語を伝える役割を持っていました。

Chartre20シャルトル大聖堂の正式名称は、ノートルダム大聖堂、つまり聖母マリアに捧げられた教会です。周歩廊北側の16世紀の「柱の聖母」。多くの人が祈りを捧げていました。

Chartre03シャルトルでは毎年春から9月まで日没後毎日Chartre en Lumieresが開催されます。
Chartre25大聖堂をはじめ町の様々な建物が最先端のレーザー光線テクノロジーで色鮮やかにライトアップされ、光と色の幻想的なモニュメントとなります。
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Chartre27サンテニャン教会(Eglise St-Aignan)。
Chartre30劇場。
Chartre38大聖堂の北扉口は、
Chartre31このようになっていました。
Chartre39素晴らしい技術です。
Chartre32ハイテクと世界遺産の融合。

シャルトル大聖堂自体がステンドグラスになりました。
Chartre33大聖堂に映し出される映像は刻一刻と変化し、見ている私達を飽きさせません。
Chartre34最後は「美しき絵ガラスの聖母」のライトアップでフィナーレです。
Chartre14_3 「美しき絵ガラスの聖母」。

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2008-08-01

ロマネスクとゴシックの混在、シトー会ポンティニー修道院

Abbatiale_de_pontigny05Pontigny(ポンティニー)修道院は、1114年に創建されたシトー会の修道院です。

Abbatiale_de_pontigny_2ロマネスクからゴシックに様式が替わる時期に建てられたユニークな建築(身廊はロマネスク様式、内陣は初期ゴシック様式)。シトー会の修道院といえば世界遺産のフォントネー大修道院が有名ですが、シトー会の由緒としては、こちらの方が歴史ある修道院だそうです。
Abbatiale_de_pontigny01長い年月を経た乳白色でモノトーンの石造り。装飾と彩りをおさえた静謐な空間です。
Abbatiale_de_pontigny04一般的な薄暗い教会のイメージではなく、明るい教会でした。
Abbatiale_de_pontigny02ステンドグラスから差し込む柔らかい光は心を和ませます。

夏には観光客が多いそうですが、訪れた時期は人影はまばらで、静かな時間を堪能出来ました。心に残る教会でした。

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2008-07-31

〔フランスの最も美しい村〕バラの村・ジェルブロワ(Gerberoy)

Beauxvillage24_3この季節にフランスをドライブしているとよくみかけるコクリコ(ひなげし)。印象派の絵画にも描かれていますね。
Beauxvillage26_2美しい村の看板。「フランスで最も美しい村」ジェルブロワ(Gerberoy)。ジェルブロワは、ノルマンディーとピカルディーの交差点に位置しており、両地方の伝統を色濃く伝えている10世紀に歴史をさかのぼる村。以前から是非バラの美しい季節に訪れたいと思っていました。
Beauxvillage27村の入口の駐車場の裏には羊達が草を食んでいました。
Beauxvillage28村の入口のレストラン。
Beauxvillage29フェルメール?
Beauxvillage30どの家の周りにも、バラが植えてあります。控えめなバラも素敵です。
Beauxvillage31 フランス人の観光客がとても多く、次がイギリス人観光客でした。

皆楽しげにこの小さな村を散策していました。
Beauxvillage32ほのかなバラの香りが村全体に漂っています。
Beauxvillage33 この村のある辺りでは昔、フランスとイギリスの間で百年戦争が繰り広げられました。そのためジェルブロワのお城や建物も壊され、何世紀もの間、この村は廃村同然になっていたそうです。
Beauxvillage34Henri Le Sidaner(アンリ・ル・シダネル)という画家がこの村に引っ越してきたことが、村復活のきっかけになったそうです。
Beauxvillage35彼は自分の家をバラで飾り、またジェルブロワの城跡を見事な庭園にしました。
Beauxvillage44その後、「この歴史ある古い建物のそばにバラが咲いていたら、もっと美しいに違いない…」と、バラを育てることを村人たちに提案します。
Beauxvillage41彼の考えに共感した村人たちは、自分の庭だけでなく家の周りや道端にもバラを植え育てました。
Beauxvillage38そしてジェルブロワは、現在のバラの香りに包まれる美しい村となったそうです。
Beauxvillage36バラが家や風景に溶けこんでいます。
Beauxvillage37村で人気のレストラン。満席で残念ながらランチは出来ませんでした。
Beauxvillage42村の教会。
Beauxvillage48アンリ・ル・シダネルジェルブロワの絵は東京富士美術館にあるそうです。

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2008-07-30

オータンのサン・ラザール大聖堂・イヴの誘惑

Autun1 緩やかに波打つ緑色の丘陵が何処までも続く豊かなブルゴーニュ地方のローマ時代の重要な町として、かつては「ローマの妹、ローマのライバル」と称されるほどに栄えた2000年以上の歴史を誇るオータン(Autun)

ローマ時代からの城壁が町をぐるっと取り囲む様子を眺めながら旧市街へと入っていきます。この町のサン・ラザール聖堂にはロマネスク時代の傑作と名高い柱頭彫刻が残っています。

タンパンには「最後の審判」の図が彫られていて、ヴェズレーとともにブルゴーニュ地方の二大傑作とされています。有名な柱頭彫刻は、復活祭のミサ中で残念ながら見ることが出来ませんでした。

このタンパンは醜いという理由で、1760年代に松ぼっくりを描いた漆喰で覆われてしまったそうです。そのためフランス革命の際にも破壊されず、そのまま保存できたそうです。

Autun2中央には光を放す光背に包まれわずかに両手を広げたキリストが玉座についています(たまたまキリストの頭にハトが止まってしまいました)
Autun4向かって右側にあたるキリストの左手側には、「地獄」行きの人々。聖ミカエル(左)と悪魔(右)が向かい合って魂を計っています。)なんとなく愛嬌があります。
Autun5向かって左側(キリストの右手側)には 「天国」に向かう人々。外観は15世紀の改修で、ゴシック様式ですが、このタンパンと柱頭彫刻はロマネスクです。
Autun6再建、増築などでゴシック様式とロマネスク様式が混合しています。
Autun7大聖堂近くのロラン美術館にある「イヴの誘惑」。もとはサン・ラザール大聖堂の北扉口タンパン下にあったものだそうです。
Autun8この主題は蛇の誘惑に負けて、イヴが禁断の木を取ろうとしているところです。
体をくねらせて怪しげに人を引きつける、不思議な魅力を持った彫刻です。泳いでいるように横たわり、罪深き女を象徴する長い髪が肩に垂れ、豊かな胸をさらした全裸のイヴ。

肘を突いた右手を頬に当てた彼女の官能的な表情から、彼女の顔の正面には、イヴアダムの彫刻が存在したと想像されています(残念ながら、アダムの彫刻は、未だ発見されていません)。アダムへ愛を囁きながら、その一方で、 蛇の誘惑に負けたイヴの左手は、「禁断の木の実」を握っています。
Autun9写真はブルゴーニュの高級牛、シャレー牛。目があいました。

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2008-07-29

〔フランスの最も美しい村〕リヨン・ラ・フォレ(Lyons La Foret)

Beauxvillage13まもなく「美しい村」のひとつ、リヨン・ラ・フォレ(Lyons La Foret)に到着です。
Beauxvillage15村の中心には18世紀の大きな屋根の木造のホールがあります。
Beauxvillage14ここで写真のように市場がひらかれたり、村の催し物が行われるそうです。
Beauxvillage16観光客が多く訪れるらしく、この小さな村にホテルがいくつかありました。

市場のある広場には、カフェやレストラン、アンティークショップに可愛い小物ショップなどがあり、静かな村なのに、華やかな雰囲気。
Beauxvillage18リヨンの森という名前の通り、森に囲まれた古い町です。このあたりは特にVexin(ヴェクサン)と呼ばれる地方で、セーヌ河に沿っており、その風光明媚な景色は、昔から絵画や文学作品などで有名だそうです。
Beauxvillage19 広場の先にはノルマンディー地方特有のコロンバージュ(木骨組み)の家並みが続きます。写真は広場近くのラヴェルの住んでいた家です。

ここで「クープランの墓」の作曲とあの「展覧会の絵」のオーケストレーション(さまざまな楽器編成のアンサンブルの楽譜を書くこと)をしたのだそうです。
Beauxvillage21Chateau de Fleury la Foretというお城の看板があったので、立ち寄りました。
Beauxvillage23次はバラの村、ジェルブロワ(Gerberoy)を目指します。 

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ロマネスク教会を巡る旅・ヴェズレー サント・マドレーヌ聖堂(世界遺産)

10年程前にフランス関連の雑誌でロマネスク教会の写真を見て以来、いつかフランスの小さな村にあるロマネスク教会を巡る旅をしたいと思っていました。

少々長くなりますが、ロマネスク美術について説明します。

ロマネスク美術とは、主として11世紀から12世紀中頃にかけてヨーロッパ各地で一斉に開花した初めてのヨーロッパ独自の美術(ちなみに12世紀後半から15~16世紀までをゴシック美術の時代と呼びます)を指します。人々が集まり、祈りを捧げる教会などに建築、彫刻、絵画が一体化した総合的な芸術です。この時代にロマネスク美術が開花・発展した背景には、多民族大移動などの中世初期の混乱が収束して社会・経済が安定し、修道院改革や文芸復興などの知的雰囲気が活発化したことがあります。

ロマネスク教会には世界遺産に指定されているものも多いのに、何故、ロマネスク教会はゴシック教会より馴染みが薄いのでしょうか?

ロマネスク美術では、教会や修道院そしてその内部の空間それ自体が神を象徴するものとして表現されました。そのため彫刻や壁画は建物の一部を構成するだけで、独立の美術作品として建物から切り離すことができません。そのため、ロマネスク美術を鑑賞するには、その土地に赴き、その教会・修道院を訪れなくてはいけないのです。そのためロマネスク芸術は「遠い芸術」「旅で出会う芸術」などと呼ばれています。

加えて、ロマネスクの教会・修道院は、パリのノートルダム寺院の様なゴシックの大聖堂のように大都市に現存しておらず(都市部のロマネスク教会は後にゴシック教会に建て直されてしまうことが多かったため)、魅力的なロマネスク教会は田園や山に囲まれている地方の小さな村々に点在しているため、訪れる機会が少ないことが理由と考えられます。

ロマネスク建築の最大の特徴は暗くて重量感がある内部空間です(特にシトー会のロマネスク教会は装飾が最小限に抑えられています)。ゴシックのような開放的な高さと空間を得るだけの技術は当時はまだありませんでした。しかし、円形アーチの技術以外、石を積んで壁を造るというプリミティブな方式による建築が、今に残されたロマネスクを旅する者にとっては最大の魅力となる、心休まる空間の心地良いスケールと美術的な装飾の美しさとを感じさせてくれます。

パリのノートルダム大聖堂で代表される様な人知を越えたスケールのゴシック様式も素晴らしいですが、ロマネスク教会の素朴な教会内部は人間的な温かみが感じられ、シンプルなだけに高い精神性と豊かな想像力・表現力があり、その土地、自然と密着した芸術だからこそ心を打ちます。またロマネスク教会はその土地でとれた石材を使い、地方ごとに違う装飾があったりなどして、それぞれの教会は多様性があるので、興味が尽きません。

私のロマネスク教会を訪ねる旅は、中世以来宗教の中心であり、ロマネスク美術の名産地といわれているブルゴーニュ地方のロマネスク教会から始めました。

ロマネスク美術の担い手であったクリュニー会(10世紀初頭に創立され、ヨーロッパに大きな影響を与え、11世紀に最盛期を迎えた)とシトー会(クリュニー会の贅沢主義に対抗して興り、12世紀に台頭した)という二つの修道院の発祥の地であるだったブルゴーニュ地方には美しい教会が多く残っています。

Vezelay01_2ブルゴーニュ地方の丘の上に立つ村ヴェズレー
この村は9世紀にベネディクト会の修道院が造られ、12世紀に聖マドレーヌ(マグラダのマリア)の聖遺物を納める場所として多くの巡礼者を集めました。その潤沢な資金によって、タンパン、柱頭彫刻が刻まれたそうです。

そしてこの村は、サンティアゴ・デ・コンポステーラ(聖ヤコブの遺骸が埋まっているといわれるスペインの聖地)とエルサレムの東西二大巡礼地への出発点でもあります。

ヴェズレーでは9世紀にベネディクト会の修道院が造られ、12世紀には聖遺物であるマグラダのマリア(娼婦であったが、悔悛し、後に聖女としてあがめられるようになった女性)の遺骸を安置する聖堂としてサント・マドレーヌ教会が建てられました。それ以来ヴェズレーは聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の遺物のあるスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ(エルサレム、ローマと並ぶキリスト教3大聖地の1つ)へと向かうフランス側の4起点の一つです。

2,000キロに及ぶ距離をあるくのは並大抵のことではないと思いますが、中世の時代には年間50万人以上の巡礼者がサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指したそうです。現在でも夏のシーズンになると世界各地から大勢の人々が徒歩、自転車、車でサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指しているようです。13世紀までは隆盛を極めたそうですが、聖遺物が偽物と判明し、人気は一気に衰えたそうです。
しかし、この栄華の時代に集まった潤沢な資金で、ロマネスク彫刻のタンパン(入り口上部にある半円形の部分)や柱頭彫刻が刻まれ、現在の人気が戻ったそうです。

教会までは緩やかな坂道をのぼっていきます。
Vezelay03参道の坂道はレストラン、お土産物屋さん、ワインカーブなどがあり、目を楽しませてくれます。
Vezelay33
Vezelay26視線を落とすと、聖堂へ向かう道にはこのようにサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の目印になる帆立て貝のプレートが埋め込まれています。 聖ヤコブはフランス語で“サン・ジャック”といいます。巡礼者はその証として帆立貝の貝殻を首にかけていることが多いそうです。
Vezelay32番地にも貝殻のしるしが。
Vezelay30 緩やかな参道を10分ほど歩くと、サント・マドレーヌ聖堂に到着します。
ロマネスク美術の粋を集めた、巡礼者が「永久の丘」と呼んだヴェズレーの象徴サント・マドレーヌ教会。
Vezelay25正面扉口のタンパン彫刻(扉口上部の半円または尖頭アーチで囲まれた部分。中心となるテーマが装飾されています)は、破壊された後に造られた後世の作品で、有名なタンパンはこの奥にあります。
Vezelay04堂内に入ってすぐのナルテックス(玄関間)のタンパンは、フランス・ロマネスク彫刻の白眉と言われています。
中世人の信仰のドラマが大胆・雄大なスケールで描かれています。中央のキリストが、すべての国への宣教の使命を与えるキリストがこの場面の主題だそうです。
雲間に出現したキリストの手から出るシャープな光線(聖霊)は、使徒達にすべての国の言葉を語る能力を与える、キリスト昇天の10日後に起きた「聖霊降臨」を暗示しています。

いかにも巡礼地へ出発地であるヴェズレーにふさわしいテーマです。

半円に沿って並んだ枠の中やキリストの足元の列には世界の民族が配され、外側のアーチには黄道十二宮が表されており、キリストが全宇宙の時空間を統治することを示唆しているそうです。

次回ご紹介するオータンのタンパンとこのヴェズレーのものは、ブルゴーニュのロマネスクのタンパンの二代傑作と言われています。人物を一人ひとりみていくと面白いです。

Vezelay05キリストの衣に刻まれた渦巻状の襞の意匠が、キリストの全能を見せつけるようです。

ロマネスクならではのエネルギー感が溢れています。
Vezelay06二色の石を交互に組み合わせた(異なった色の大理石を交互に配するのは、イスラム圏の建築の影響だそうです。ビザンチンやイスラムなどの建築様式を摂取しながらロマネスク独自のスタイルが確立されました)天井アーチのある明るく広大な身廊(正面から内陣へと向かう東西に細長い空間)。ロマネスクの教会としてはとても大きいです。

奥の内陣(祭壇を中心にして聖職者達が儀式を行う場所)は13世紀にゴシック様式で再建されたそうです。(ちなみに祭壇とは、血と肉であるワインとパンを信者達が口にする「神の食卓」というのが元々の位置づけです)。

中世の巡礼者はさぞ圧倒されたでしょうね。
Vezelay07サント・マドレーヌ聖堂のもう一つの見所は、100点にもおよぶ身廊(正面から内陣へと向かう東西に細長い空間)と側廊(身廊の左右にある通路)を仕切る柱にある柱頭彫刻です。

建築と調和したロマネスク彫刻はこの時代の美術を代表するもので、各地の文化的素地の多様性、人々の想像力の豊かさ、深い宗教精神を伝えています。
柱頭彫刻はギリシャ時代からありましたが、ギリシャのものは主に植物的な文様であり、物語的な柱頭彫刻はロマネスク芸術から始まったそうです。

Vezelay09エジプト人を殺すモーセ。
Vezelay10ダビデとゴリアテ。

ダビデは植物の花弁にのっかかって切り込んでいます。これはダビデが小さい子供であることを強調しています。ダビデが少年の頃に巨人戦士ゴリアテを倒す聖書物語は、信仰の厚いダビデの勇気と、神を嘲って武力に頼る暴虐なゴリアテの決闘の結末から、信仰の大切さを学ぶ教訓として語られる、欧米人にとってなじみの深い話だそうです。

Vezelay11聖アントニウスの幻覚。

聖アントニウスは修道院制度の開祖とされる隠修士です。 砂漠で長い禁欲的な生活を送っているときにさまざまな幻覚に襲われます。 悪魔達は修道士を塔の上から引きずり落とそうとしています。
Vezelay19 聖ベネディクトに対する悪魔の誘惑。聖堂にいる悪魔たちは、修道士の悪夢から生まれた修道士が日々戦っていたイメージの産物だそうです。
Vezelay13 世俗の音楽と悪魔。

神・信仰の力に対抗する悪の象徴としての悪魔を想定することで善悪の対立関係をイメージしやすくなるため、悪魔はキリスト教の体系の中にしっかりと組み込まれています。
Vezelay14天秤座。
Vezelay15 逆さになって雑巾のように絞られ、大鷲に苛まれている少年は、ギリシア神話のガニュメデス。左の人物は嘆いている父親。
Vezelay16聖エウスタキウスの幻視。

聖エウスタキウスが狩りの途中、鹿の角の間に十字架が輝きキリストの姿が浮かぶのを見て、妻とともにキリスト教に改宗したという伝説。
Vezelay17 絶望と淫欲。
右は蛇に足を絡ませながら淫欲に苦しむ女性。左は絶望して自らの胸に剣をさしている悪魔。
Vezelay18想像上の生き物の戦い。ヴェズレーの柱頭彫刻は見ていて飽きません。
Vezelay20 サント・マドレーヌ教会で最も素晴らしいと言われている柱頭彫刻「神秘の粉挽き」。左のモーゼが小麦を機械に入れ、右の聖パウロがこれを粉にする場面です。旧約聖書のモーゼから新約聖書のイエス・キリストへの移り変わりを象徴していて、粉挽きの車輪車輪の十字は旧約聖書と新約聖書をつなぐイエスの象徴だそうです。
Vezelay22 隠者聖パウロの埋葬。聖アントニウスが聖パウロの霊に祈っています。 二匹のライオンは聖パウロを埋葬する穴を掘っています。
Vezelay23大天使ラファエルと悪魔アスモデウスによって、善と悪の戦いが具象的に表現されています。
Vezelay29教会は町の麓から坂道を登りきったところにあるので 教会の裏手は、ブルゴーニュの美しい田園風景を一望できる見晴らしの良い広場になっています。
Vezelay27少し霧がかかっていましたが、素晴らしい眺めです。
Vezelay28地平線まで続くなだらかな丘陵。
Vezelay35参道にあるレストランLe Saint Etienneのシェフが出てきたので、パチリ。
Vezelay36今回は行きませんでしたが、パリのジョルジュサンクで働いていたシェフが10年ほど前に地元ヴェズレーに戻って開いたお店だそうです。ブルゴーニュの教会巡りは美味しいワインと食事もいただけるので嬉しいです。
Vezelay34ヴェズレーのワインがあったので、購入しました。
Vezelay42ラベルにも帆立貝が。
Vezelay40次はオータンに向かいます。






 

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2008-07-28

〔フランスの最も美しい村〕ラ・ロッシュ・ギヨン(La Roche-Guyon)

Beauxvillage26フランスには、フランスの最も美しい村協会という協会があり、「フランスの最も美しい村」を認定しています。
現在152の村が認定されています。

認定基準はかなり厳しく、人口2,000人以下で、最低2つは保護遺産があることなどが条件となっており、遺産の重要性やその活用の適制度、保存状態などが審査されます。「フランスの最も美しい村」に認定された村の前には、町の入口に美しい村マークのついた看板が誇らしげに立っています。

以前ご紹介したイヴォワール「フランスの最も美しい村」です。

どの村にもそれぞれの魅力がありますので、フランスへの旅行の際には、「美しい村」があったら極力立ち寄るようにしています。

今までに訪れたことのある「フランスの最も美しい村」を少しずつご紹介したいと思います。

Beauxvillage16月にノルマンディ地方に車を走らせました。
Beauxvillage2ラ・ロッシュ・ギヨン(La Roche-Guyon)に到着しました。
Beauxvillage6カンカル(ノルマンディ地方に近いブルターニュ地方の町)風のクレープのお店。
Beauxvillage5ラ・ロッシュ・ギヨン城(Château de La Roche-Guyon)
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Beauxvillage9美しい村に共通することですが、すべての家が可愛らしく飾られています。
Beauxvillage10村の中心からすぐのところにセーヌ河が流れています。
Beauxvillage11この村は、印象派の画家達にゆかりのある場所で、ピサロとセザンヌはここで一緒に制作したそうです。