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2007-12-16

カンディンスキーファン必見!ミュンヘンのレンバッハ美術館

Munchen50 ミュンヘン訪問時には絶対に外せないと思っていた目的地の1つである、レンバッハ美術館に行きました。レンバッハ侯爵はドイツ随一の肖像画家として名をはせた画家、美術収集家でした。レンバッハ美術館は、彼の邸宅兼アトリエを改装したイタリア・ルネッサンス様式の美術館です。この美術館を有名にしているのは、彼の作品ではなくカンディンスキーをはじめとする「青騎士」グループの画家たちの作品です。

ワシリー・カンディンスキー
は20世紀を代表する画家のひとりです。その強烈な色彩とファンタジーに富んだ形の世界は抽象芸術のさきがけとなり、抽象絵画を目指す画家たちのインスピレーションの源泉となってきました。

カンディンスキーはモスクワで経済学と法律を学んでいたのですが、1896年、モスクワで開催された印象派の絵画展でモネの作品「積み藁」と出会い衝撃を受け、教授職を辞退し、ミュンヘンで30歳から絵を学び始めました。ミュンヘンに移った理由には、同時期にワーグナーの歌劇「ローエングリン」を体験し(その音楽に彼は“色”を見たそうです)、強くその影響を受けたこともあるそうです。彼は後にシェーンベルクの音楽にも傾倒します。30歳にしてミュンヘンの美術学校に入ったためクラスの中では年齢が高く、また経験もあったため、自分の作品について深く考えながら、芸術の真の理論家になるべく絵の勉強を始めたそうです。

Munchen72カンディンスキのコレクションは質・量ともすばらしく、初期から年代ごとに変わっていくカンディンスキーの画風がよくわかるように展示されていました。

カンディンスキーは抽象絵画を産み出し、20世紀初頭に絵画芸術の革命を起こしました。しかし、この絵画革命はカンディンスキー一人で産みだしたものではなく、ガブリエーレ・ミュンター(ドイツ表現主義絵画で重要な役割を果たしたとされる女流画家)との共同生活により産み出されたものと言われています。

1877年ベルリンに生まれたガブリエーレ・ミュンターは、当時女性はミュンヘンの芸術アカデミーへ入学が認められていなかったため、私立の美術学校を卒業し、アメリカで数年過ごした後、絵画の勉強を続けるため1901年ミュンヘンに来ます。カンディンスキーとミュンターが出会ったのは、1901年の暮れにミュンヘンにカンディンスキーが開設した小さな美術学校「ファーランクス」の教室でした。

女性には芸術への道がほとんど閉ざされていた時代に、男女のへだてなく丁寧に学生を指導するカンディンスキーの姿勢は、ミュンターの心を打ち、やがて二人は親しくなります。カンディンスキーは教え子との愛を妻(カンディンスキーは既に結婚していました)に打ち明けますが、ロシア正教会の掟では彼の離婚は許されなかったため、1904年の夏、彼は妻のもとを離れ、世間の目を逃れるかのように、ミュンターとともに長い旅に出ます。オランダからチュニジア、イタリア、さらにパリ近郊のセーヴルへと、転々とする日々は足かけ5年におよび、1908年にミュンヘンに戻ります。この間も二人は絵の制作を続け、ベルリンやパリの大きな展覧会にも出品します。

二人の芸術に大きな転機をもたらしたのは、ミュンヘン郊外のムルナウという小さな町です。ミュンヘンに戻ってきてから写生する場所を探すうちに偶然この町を見つけたそうです。湖と湿原に近く、澄み渡った空の向こうにアルプスの山並を望むこの土地に、二人は魅了され、夏の後半をここで過ごし、街路や田園風景のスケッチに励みます。彼らの絵には鮮やかな色彩、自然の光景を目にしたときの内面の感覚が生き生きと現れるようになりました。

Munchen51カンディンスキー「The River Isar(Munich)」(1901)
ゴッホのような後期印象派(見たままの自然を描くそれまでの印象派の作家達の作品とは違い、自分の見え方にウエイトを置き、色や構図を構成)の伝統を継承し、屋外でパレットナイフを使った最初の絵だそうです。
(※画像はクリックすると大きくなります)
Munchen53カンディンスキーが描いたミュンター(1902)
Munchen54_2カンディンスキーが描いたミュンター(1903)。二人が恋人同士、芸術での同志となった年に描かれたもの。

Munchen55カンディンスキーの「Riding Couple」(1906-07)。これはミュンターとの旅行中に描いたもの。ロシアの民族衣装を身に着けたカップルが、背景にあるクレムリン宮殿の前を騎馬で通っています。暗鬱な極彩色と呼びたくなるようなロシア的な多彩な色使いがとても綺麗(特に向こう岸のロシアの町がきらきら輝いていました)でしたし、詩的でおとぎ話のような雰囲気で素敵です。カンディンスキーのロシアへの郷愁が感じられました。

Munchen71「Before the City」(1908)
1906年に、カンディンスキーはマティスの初期の作品に出会っています。激しく大胆なタッチ、鮮烈な色彩といい、明らかにフォービズムに影響を受けていますね。
Munchen70「Murnau-Study for Landscape with Tower」(1908)
強烈な色使い。この時代のムルナウは、どんな感じだったのか興味があります。
コントラストの強い色彩配置が特徴で、ロシアのフォークロアを思い出させるものがあります。30歳から絵を始めたとは思えない、若々しいピュアな印象を受ける色彩でした。

Munchen57ミュンターとカンディンスキーが同じ場所から描いている絵がありました。こちらはミュンターが描いた「グリースブロイからの眺め(View of the Griesbrau)」(1908)。グリースブロイとはムルナウにあった宿のことだそうです。ムルナウの民族工芸のガラス絵の単純な輪郭線の中の鮮やかな色彩から、ミュンターは大胆な色使いを学び、画風を変えていったそうです。

当初彼女の画風は当然ながら師であるカンディンスキーの影響を受けていたのですが、次第に独自の画風を発展させてドイツ表現主義芸術の先駆者の一人となるとともに、逆にカンディンスキーがミュンターの影響を受け始めます。

Munchen58 こちらはカンディンスキーの「グリースブロイからの眺め(View of the Griesbrau)」(1908)。
Munchen66美術館ではこの2枚を並べて展示していました。
Munchen1351909年から1914年にかけて描かれたカンディンスキーのガラス絵
カンディンスキーは、ムルナウの教会にあったガラス絵を見てロシアのイコン(聖画像)を思いだし、1909年から集中的に宗教的主題を具象的にガラス絵で表現しています。
Munchen56その中の「Cavalier with Trumpet」(1912)
ちょっとシャガールを彷彿させる構図です。
Munchen67真ん中のふたつがミュンターの作品で、左がマルク、右がカンディンスキーの作品です。
Munchen64カンディンスキーの「Nature Study From Murnau」(1909)
目に見えるものの再現をやめ、鮮烈な色彩と抽象化された形を組み合わせて人間の心の中を表現しようとしたそうです。
Munchen61カンディンスキーの 「ムルナウの鉄道(Railroad at Murnau)」(1909)。カンディンスキーは、毎日ミュンヘン⇔ムルナウ間の蒸気機関車の眺めをしっかりと描き留めていたそうです。コミカルなおもちゃの電車のようです。左下に白いハンカチを振っている女性がいます。
Munchen62カンディンスキーの「コッヘルの墓地と牧師館(Kochel-Graveyard and Rectory)」(1909)
カンディンスキーが、ミュンターに刺激され自由で鮮烈に描きはじめるようになるのは、この頃からだそうです。
1909年からは 「色のコーラス」 ということを言い始めるそうですが、それはゲーテの「色彩論」 に影響を受けたものだと言われています。

「色彩と自分は一体であり、色彩こそが全てである。」とミュンターは言い、カンディンスキーはミュンターの考え方に影響を受けて徐々に画風を変えていったそうです。
構図や色彩の組み合わせ方にカンディンスキー独特の叙情性が感じられます。

Munchen132カンディンスキーの「Interior-My Dining Room」(1909)。カンディンスキーは、「音楽家はメロディーで、画家は色彩で」と言っていたそうです。色彩がマティスに似ている感じがします。抽象画に傾注していくまでのカンディンスキーの試行錯誤がこの美術館の展示でよくわかります。

Munchen73マトリョーシカのようなロシア民芸の色彩のカンディンスキーの「最後の晩餐(Last Supper)」(1912)
Munchen79ミュンターの「Winter Landscape」(1909)。ミュンターの絵は初めてじっくり観賞したのですが、今回すっかり彼女の絵のファンになりました。
Munchen74ミュンターの「Village Street in Winter」(1911)
オブジェの形から音楽的リズムを、色からハーモニーを奏でさせる表現法だそうです。絵全体から暖かい詩と音楽が感じられる気がします。
Munchen77ミュンターの「Kandinsky and Erma Bossi, after Dinner」(1912)。
ミュンターの描いたカンディンスキー。とても可愛らしく描かれていて、ミュンターのカンディンスキーへの愛情が伝わってくる微笑ましい絵でした。
Munchen75ミュンターの「Still Life with Easter Eggs」(1914)
ミュンターは「色彩と自分は一体であり、色彩こそがすべて」と言っていたそうです。ミュンターは、カンディンスキーの絵画の進展を理解しますが、彼女は抽象画には進まず、身近な静物や風景、バイエルン地方固有のガラス絵から主題を取った絵画の世界にとどまります。
Munchen78ミュンターの「The Russians House」(1931)。この家はムルナウの人から「ロシア人の家」と呼ばれていました。現在はミュンターハウスとして一般公開されているそうです。
のどかな風景に囲まれ、花が咲き乱れた庭付きの一軒家で、家中明るい色彩で塗られたとても楽しい家だそうです。

後世の画家に与えた影響は、ミュンターはカンディンスキーに比して大きくなかったかもしれませんが、カンディンスキーの哲学的思考と絵画的理論に基づいた絵を見た後に、ミュンターの感性が率直に表現された絵を見ると、何だかほっとします。

Munchen133カンディンスキーの「Murnau with Church I」(1910)。深みのある鮮やかなロシア民族調色彩が綺麗です。ムルナウとその周辺の風景を描きながら、純粋な色彩によって現実のかなたの精神的な世界への憧れを表現した作品であり、彼の抽象絵画が誕生した背景をここにうかがうことができます。
Munchen80フランツ・マルクの「Blue Horse I」(1911)。1911年にカンディンスキーとマルクが中心になって「青騎士」という芸術家グループを結成します。「青」はロマンティシズム、郷愁、天空の色をあらわし、「騎士」は芸術のために先頭に立って闘うという志をあらわしているそうです。

カンディンスキーはまた「私たちは二人とも青が好きで、そしてマルクは馬が、私は騎士が好きだった」と名前について語っています。

また1911年にカンディンスキーは現代音楽の創始者と呼ばれているシェーンベルグの音楽と運命的な出会いをします。彼の音楽は、西洋の伝統から解き放たれた無調音楽で、絵画音楽における不協和音を探していたカンディンスキーにとってとても衝撃的でした。これをきっかけにカンディンスキーの作風はより抽象的なものになっていきます。

Munchen134「Improvisation 21a」(1911)。
カンディンスキーの抽象画のシリーズである「インプロヴィゼーション(即興)」の一枚。
対象物から受けるムードや感覚をそのまま画面に表現しています。

即興といいながら素描が残っている所から、カンディンスキーの妥協を許さない姿勢が感じられます。
「インプロヴィゼーション」や「コンポジション」(インプロヴィゼーション後の抽象画のシリーズ)を描くとき、彼は何枚もの下絵を試みて構想を練りに練って仕上げたそうです。しかし一旦構想が決まると仕事は早く、大作でも3日で描き上げたそうです。

絵画は、形あるものを指示し、あるいは説明するという作用にとどまり、人の想像力を解放する力には劣っているのではないか、とカンディンスキーは考え、絵画に人の想像力に訴える要素を模索しました。

Improvisation_gorge1914年に第一次世界大戦が勃発し、「青騎士」の仲間であったマルクやマッケは戦死し、カンディンスキーはドイツを追われます。これは戦争前夜に描いたカンディンスキーの作品「即興 渓谷(Improvisation Gorge)」(1914)。

手前にはバイエルン地方の民族衣装を着た男女が踊っていて、その下にカヌー(オールが宙に飛んでいます)。水面にはさざなみ、山々、滝、線路、左にはロシアとムルナウの中間のような教会...。この絵は別名「別れ」と呼ばれていて、ミュンターと過ごした渓谷の思い出が描かれているそうです。

カンディンスキーはドイツを去るときムルナオとミュンヘンで制作した作品の全てをミュンターに残していきます。ミュンターは作品を奪い取ろうとするナチスドイツや第二次世界大戦の戦火から作品をムルナオの家の地下室に隠して守りました。

ミュンターは再会を願って中立国スウェーデンに移り、1915年の暮れにストックホルムでカンディンスキーと再会しますが、二人が会うのはこれが最後となりました。カンディンスキーがロシアに戻った後も、なおミュンターは北欧で待ち続けましたが、カンディンスキーは1917年の初め、モスクワでロシア人の女性と再婚していました。戦後の1920年、ミュンターは失意のうちにミュンヘンに帰ります。その翌年カンディンスキーも新しい妻を連れてドイツに戻りますが、二度とミュンターに会うことはなかったそうです。

カンディンスキーの帰りをひたすら待ち続けるミュンターの姿を想像すると胸が痛みます。それでもミュンターはカンディンスキーや「青騎士」の作品を大事に持ち続け、1957年にミュンターはカンディンスキーと「青騎士」の膨大な絵画コレクションを作品をレンバッハ美術館に寄贈します。彼女はこれらの作品が二人の愛の記念であると同時に、近代美術の歴史における貴重な存在であることをわかっていたのでしょう。

Munchen76ミュンターは1915年から1929年までの北欧の滞在中、マティスの生徒だったスウェーデンの前衛アーティストから大きな刺激をうけます。ミュンターの絵はどれも好きだったのですが、特に印象に残った絵はこの「Pensive Woman」(1917)。何かを待っているような、将来への希望を持っているような、昔を懐かしんでいるような、色々な感情が伝わってきて惹かれる絵でした。

Munchen82カンディンスキーの絵画については、彼の初期の作風である鮮やかな色彩感覚が残っている抽象画の初期のものが一番好きだったのですが、今回観賞した初期のカンディンスキーの作品には、とても惹かれました。

またミュンターというパートナーからカンディンスキーが影響を受けていくのを作品を通じて感じることができ、具象絵画でも抽象絵画でも色彩は人を惹きつける重要な要素だと改めて思いました。
ミュンターという新しいお気に入りの画家が出来て嬉しいです。
ミュンターハウスにもいつか訪れたいと思います。

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