ドイツ

2014-07-29

ドイツ、ヴュルツブルグで買ったフランケンワイン

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Juliusspital Silvaner Trocken (ユリウスシュピタール シルヴァーナ トロッケン) 
2013

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Burgerspital Wurzburger Stein Silvaner Trocken (ビュルガーシュピタール ヴュルツブルガー シュタイン シルヴァーナ トロッケン) 2013

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Staatlicher Hofkeller Wurzburger Stein Silvaner Spätlese Troken (スタートリッヒャー・ホーフケラー ヴュルツブルガー シュタイン シルヴァーナ シュペトレーゼ トロッケン)  2012

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2009-08-30

ロマンティック街道のフィナーレ!メルヘン王の夢の城、ノイシュバンシュタイン城へ

Ete401今日の宿泊場所、ノイシュバンシュタイン城の町シュヴァンガウ(白鳥の高原の意)のさらに山の上のホーエンシュヴァンガウ(高シュヴァンガウの意)に向かいます。
Ete402フラスコ画が書かれてある家。
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Ete403聖コロマン教会。ここからノイシュヴァンシュタイン城が違った角度で見られます。
Ete405ドイツで一番有名なお城、バイエルン国王ルートヴィヒ2世ノイシュヴァンシュタイン城

ルートヴィヒ2世が、17年の歳月と巨額の費用をつぎ込んで自分の夢を実現させようと、精魂こめて作った“白鳥城”と呼ばれる白亜の美しいお城。
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Ete411ホーエンシュヴァンガウ城もみえます。
Ete409町中に向かいます。
Ete413夕食をとって今日は休みます。(本日の走行距離:350キロ)
Ete414翌朝予約していたチケットを受け取ります。
Ete448町の中心から見えるホーエンシュヴァンガウ城

12世紀に築かれて荒れ果てていた城を、ルートヴィヒ2世の父、マクシミリアン2世がネオゴシック様式に再建し、夏の狩猟用の城にしました。

このお城でルートヴィヒ2世は弟オットーと幸せな子供時代を過ごしたそうです。

ノイシュヴァンシュタイン城は山の上にあるので、町の中心から馬車やミニバスで登ります。
Ete417_2ミニバスから降りて20分ほど歩いた場所にあるマリエン橋の中央から見えるノイシュバンシュタイン城。まさにロマンティック街道のフィナーレに相応しい美しい白亜の城です。
Image よく見るノイシュヴァンシュタイン城の写真はこちらなのですが、このアングルから見ようと思ったら、ヘリコプターなどでお城の反対側の岩山にいかないと見られないそうです。見るアングルによって全く異なるお城のように見えるのも、ノイシュヴァンシュタイン城の魅力のひとつだと思います。
Ete416ディズニーがシンデレラ城のモデルにしたというのも頷けますね。
Ete415ルートヴィヒ2世は侍医とふたりで夕方の散歩に出かけたのが最後となります。翌日水泳が得意だったはずの王の遺骸が、湖の浅瀬に浮かびます(侍医も溺死)。

衝撃的すぎる王の死に、世論は沸騰します。なぜか検死もほとんど行われぬまま、ルートヴィヒの遺体はミュンヘンの聖ミヒャエル教会に埋葬されました。生前の王が言っていた「私は自分にとっても、他人にとっても謎でありたい」という言葉さながらの死だったそうです。

ドイツ留学中でミュンヘン滞在中だった森鴎外(当時24歳)は、このドイツ王国を揺るがす大事件を知り、湖畔を訪ねています。そしてこの事件をモチーフに短編「うたかたの記」を書きます。
Ete42020分ほど登るとお城につきます。
Ete422途中の景色。ホーエンシュヴァンガウ城とアルプ湖
Ete423ノイシュヴァンシュタイン城の建築中、ルートヴィヒ2世は、このお城から進捗状況を見ていたそうです。
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Ete428内部は撮影禁止なので、外観だけの写真になります。

10年以上前にノイシュヴァンシュタイン城を見学したときには、お城の内部がちょっとけばけばしい印象を持ちましたが、今回は以前より落ち着いた雰囲気に感じられて好もしく思いました。
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Ete447_2町に戻ります。
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Ete450オーストリアとリヒテンシュタインを通ってスイスを目指します。








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2009-08-26

美しいフレスコ画と世界的に有名なキリスト受難劇の村、オーバーアマガウへ

Ete335アルプスの山々に囲まれた小さな村オーバーアマガウへ向かいます。

雄大な自然を望みながらのドライブは快適です。ルートヴィヒ2世もかつてはこの付近で馬を走らせているところを何度も村民に目撃されていました。
若いルートヴィヒ2世はいつも白い馬に乗っていたことから、白馬の王様として村の娘達の憧れだったそうです。
Ete337リンダーホフ城からオーバーアマガウまで、木立に囲まれたワインディングロードが続きます。
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Ete339オーバーアマガウに到着。

オーバーアマガウは人口5000人の小さな村です。この小さな村を有名にしているのは、10年に一度、村人が総出で関わる「キリスト受難劇」です。1633年、ドイツでペストが大流行していて、その猛威はこの村に近づいていました。厄難から逃れるために、村人達は受難劇を奉納し、信仰心を新たにすることを誓ったところ、ペストはこの村を避けて通ったという言い伝えがあるそうです。

真偽は明らかではないそうですが、信仰厚い村人達は、神に感謝を込めて、1634年以来、360年以上も受難劇を上演し続けているそうです。総勢1800人近い出演者による公演は、朝から夕方まで続きます。公演する年には世界中から観客が押し寄せ、村の人口は何十倍にもなるそうです。次回のキリスト受難劇の上演は2010年です。

ちなみにルートヴィヒ2世も1871年にここで受難劇を鑑賞し、4年後の母の50歳の誕生日のために70トンもある大理石のキリスト磔刑像を建立したそうです。村民達は今でもルートヴィヒ2世を敬愛し、毎年彼の命日には、王を偲んで村の近くの山々に“ルートヴィヒ2世の光”が灯されるそうです。

この村のもう一つの特徴は、村の家々の外壁を彩る鮮やかなフレスコ画です。画風も色々ですし、題材は、童話の一場面や花模様、また宗教的なものなど様々で、見ていて楽しいです。
Ete341「ヘンゼルとグレーテル」の物語が書かれた家。
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Ete342「赤ずきんちゃん」
Ete352ロマンティック街道のフィナーレ!ノイシュヴァンシュタイン城に向かいます。

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2009-08-25

“メルヘン王”ルートヴィヒ2世のリンダーホフ城へ

Ete297ルートヴィヒ2世リンダーホフ城に向かいます。
Ete300バイエルン国王マクシミリアン2世の息子ルートヴィヒ2世は、18歳にして王として即位しました。
Ludwig“最も美しい王”と呼ばれた美貌の孤独な王は、その並外れた生涯と、熱狂的と呼べる建築活動で“メルヘン王”として歴史に名をとどめています。
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Ete332厳しい山間の真ん中、人里離れたグラスヴァング渓谷にルートヴィヒ2世リンダーホフ城を建てました。1867年にベルサイユ宮殿を訪ねたことがきっかけだったそうです。

内部は撮影禁止なので写真はありませんが、玄関ホールを入ってすぐの広間の中央には、フランス国王ルイ14世の銅製の騎馬像があります。その頭上にルートヴィヒ2世のシンボルである光放つ王冠を飾り、ブルボン家の金言“すなわち、誰よりも尊大たれ”が刻まれ、ルートヴィヒ2世のブルボン王家への敬意が伺えます。
Ete328お城が見えてきました。
Ete327 リンダーホフ城は、王の身分にふさわしい立派なお城というよりは、プライベートな避難所、隠棲の場所として建造させたそうです。

ルートヴィヒ2世は自分の城を3つ(ノイシュヴァンシュタイン城、ヘレンキムゼー城、リンダーホフ城)作らせています。リンダーホフ城は、唯一ルートヴィヒ2世の生存中に完成したお城でした。リンダーホフ城だけが完成した理由は、王が早くここに住みたいと強く願い、築城の拡大を抑えたためと言われています。
Ete325リンダーホフ城は、ルートヴィヒ2世がは1886年にシュタルンベルク湖で悲劇的な最後を遂げるまで愛した滞在地です。グラスヴァング渓谷の森の中に佇む純白のお城は、王のロココ趣味の集大成と言われています。
Ete308リンダーホフ城の正面玄関から。
Ete324_2金色の花の神フローラと天使の噴水口は、水を32mの高さに噴き上げ、王の滞在中はいつも華やいだ雰囲気を庭園に与えていたそうです。

このお城の特に斬新なところの一つは、タンホイザー伝説の世界を現実化して“ヴィーナスの洞窟”とよばれる人口洞窟です。洞窟には電気仕掛けの波、色々な色のライトアップが出来る池があって、貝殻の形をした小船が浮かんでいます。現代でいうところのテーマパークを19世紀の半ばに自宅に作ってしまったのです。

もうひとつは、“魔法の食卓”。手動式のエレベーターが、一階のキッチンで料理された食事をテーブルごと2階の食堂に持ち上げてしまう仕掛けです。人嫌いの王はこうすれば食事を一人で楽しめ、召使達と会話をする必要はありませんでした。
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Ete30630段の大理石の人口の滝が、水遊びをするネプチューンたちの池へと流れ落ちています。背後のグラスヴァング渓谷の山々がリンダーホフ城の庭園の借景となっています。
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Ete316ムーア風東屋。
Ete318内部はエキゾチックです。
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Ete320孔雀の王座。広げた羽はボヘミアンガラスだそうです。
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Ete333次の目的地に向かいます。
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2009-08-24

もう一つのロココ様式の秘宝、ロッテンブーフ教会へ

Ete260ロマンティック街道を走ります。
Ete261ヴィース教会から数キロ走ると、教会の塔が見えてきました。
Ete262ロッテンブーフのマリア生誕修道院付属教会に到着。
Ete2631777年に作られた教会の入口。既にバロック・ロココの華美な装飾が飽きられつつある時代だったので、入口は次の時代の流行となる新古典様式の簡素なものです。
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Ete292簡素な入口の佇まいとは対照的な、眩暈を起こすようなバロック・ロココの存在感に圧倒されます。
Ete265教会は12世紀に建てられましたが、火災や三十年戦争などで破壊されました。バロック・ロココ様式の教会に改装されたのは、18世紀中期だそうです。
Ete294側廊。細部を見ていくと、絵画や装飾はとても繊細で優美です。
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Ete269聖アウグスティヌスの、キリストの苦しみへの祈りとマリアへの信心深い瞑想。
Ete271聖アウグスティヌスの殉教。
Ete272説教壇。
Ete274主祭壇脇の装飾。楽器を持った天使たちがいます。
Ete281このような天使像は、当時の教会装飾の流行だったそうです。
Ete276主祭壇。
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Ete273天国で聖母となったマリア。
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Ete277天国の聖アウグスティヌス。
Ete279中央祭壇の両脇に聖ペテロと聖パウロの像が立っています。向かって右側は、聖ペテロの像。
Ete280左は聖パウロ。右手に聖書を持っています。
Ete282祭壇前のキリストを抱くマリア像。梨を差し出しています。
Ete283聖アウグスティヌスが母聖モニカと話しています。
Ete284中央祭壇左側の聖スティファン祭壇。
Ete288壁にも数多くのフレスコ画が描かれています。
Ete291パイプオルガン。周りに楽器を持った天使達が舞っています。
Ete295次の目的地に向かいます。






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2009-08-23

ヨーロッパで最も華麗かつ豪華なロココ様式の教会、世界遺産ヴィース教会へ

Ete196ロマンティック街道を外れて、
Ete197ドイツらしい田舎道を走ります。楽しそうでいいですね。
Ete198ヴィース教会の看板が出てきました。
Ete199見えてきました。
Ete200鞭打たれる救い主(キリスト)への巡礼教会としてヴィース(ドイツ語で牧草地、草原の意)に建てられたヴィース教会

この教会は、1730年、マグヌス・シュトラウプ神父とルカス・シュバイガー修道士が、ある修道院のために鞭打たれるキリストの木像を寄木細工で作りました。

ところが真に迫る悲惨さが信者達の不興を買って、像は修道院の屋根裏部屋に長い間放置されることになりました。

それをある一人の農婦が譲り受け、日々熱心に祈りを捧げていたら、1738年のある日、突然キリストが涙を流したそうです。奇跡の噂は広まり、そのキリスト像を一目見ようと集まる人々のための小さな礼拝堂が始まりだそうです。この像を祈って、病気が治ったという奇跡が加わり、ヨーロッパ各地から巡礼者が続々と押し寄せてきたため、現在のような大きな教会を建てることになったそうです。
Ete201駐車場に車を停めて、
Ete257教会に向かいます。年間100万人の観光客が訪れるそうです。
Ete256外観は牧草地に建つ何の変哲もない教会ですが、
Ete204ロココ様式の内部の装飾はヨーロッパ随一と言われており、豊かな色彩の華麗な装飾に圧倒されます。
Ete255設計はドイツ・ロココの完成者として名高いドミニクス・ツィンマーマン、天井画はミュンヘンの宮廷画家だったヨハン・バプティスト・ツィンマーマンの作品です。ツィンマーマン兄弟は、多くの教会建築を手がけた経験をヴィース教会にすべて注いだそうです。

特に弟のドミニクス・ツィンマーマンは、この教会には特別な愛情と情熱を傾け、教会落成の時に、喜びのあまり「ここに幸福が宿り、ここに魂は安らぐ」と言い、ヴィースを離れることを一生望まず、教会のすぐ脇に自宅を建て、亡くなるまでこの教会を見守り続けたそうです。
Ete224主祭壇を囲む柱は、
Ete229赤い柱が自ら犠牲になったキリストの血を、青は天の恵みを意味しているそうです。一見大理石に見える柱は、漆喰に彩色をほどこした人工の建築資材が用いられています。
Ete218訪れる前はロココ様式の教会で落ち着いた気持ちになれるのだろうか、と疑問でしたが、過度な派手さが抑えられ、落ち着いた優雅さが好もしく感じられる教会でした。
Ete217ドミニクス・ツィンマーマン設計の説教壇。
Ete219説教壇下部のヴィース教会で最も美しいと言われる天使。
Ete221イルカに乗っています。イルカはキリストを表しているそうです。
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Ete205装飾。
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Ete225主祭壇上部のキリストの象徴、神の子羊。7つの封印の付いた書の上に乗っています。
Ete227主祭壇画。キリストがマリアの膝に抱かれ、キリストの顔をヨセフに向けています。

金色のペリカン像は、血を流し尽くしたイエスの献身を象徴しています。エサが無くなって我が子の命を救うため、自分の血を飲ませたという話に由来するそうです。
Ete226主祭壇のフレスコ画。
Ete233 主祭壇下部にある、ヴィース教会が建てられるきっかけとなった、柱につながれた鞭打たれる救い主像。
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Ete238 反対側から見える、左目の下の小さな白い染みが、涙の跡だそうです。
Ete239 「天から降ってきた宝石」とも讃えられている宮廷画家だったヨハン・バプティスト・ツィンマーマンが描いた彼の最高傑作と言われるフレスコ画、“キリストの降臨”

緩やかなドーム状に見える天井ですが、目の錯覚を利用した絵画技法で、実際はほぼ平面の天井に描いてあるそうです。
Ete203虹の上に座っているのが復活したキリスト。右手は十字架を、左手は自らの心臓を指さしています。雲の上には、天国の鍵を持つ聖ペテロ、槍を持つ大天使ミカエルも描かれています。
Ete211下部に描かれている最後の審判の王座。
Ete212上部に描かれているのは、天国の扉。門の上の輪は、永久への門にある永久を表す蛇。
Ete223天国の門の下には、豪華なパイプオルガンがあります。見た目も美しいですが、音の美しさでも有名です。
Ete244パイプオルガンの中央にもペリカンがあります。
Ete243マグラダのマリアがシモンの家でイエスの足に香油を塗る場面。
Ete208ヨーロッパ4大教父の一人、ヒエロニムスの像。
Ete220グレゴリウス1世像。アンブロジウス像、アウグスティヌス像もありました。
Ete228小祭壇。
Ete242_3ペトロがイエスを否認する場面。
Ete214大修道院長席。
Ete215ヴィース教会は巡礼教会という役割だけでなく、修道院長らの夏の居住地でもあったそうです。
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Ete222

Ete258ヴィース教会の感動覚めやらぬまま、近くにあるもう一つのロココの教会に向かいます。






☆今日のワイン☆

以前訪れたモレ・サン・ドニ村で買ったワイン、リニエ・ミシュロのモレ・サン・ドニ・プルミエ・クリュ・レ・シュヌヴリ〔2000〕を頂きました。

フランボワーズや、特に湿った土の香りが印象的でした。開くまで時間がかかりましたが、熟成によりタンニンが柔らかく穏やかなワインでした。落ち着いた味わいが非常に良かったです。

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2009-08-18

ローテンブルクからロマンティック街道沿いの中世の町へ

Ete150_2朝食後、ローテンブルクの城壁に行ってみます。
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Ete148_2結構急な階段ですが、この屋根のついた城壁は上ることが出来て、ローテンブルクの町並みを見下ろすことができます。
Ete152_2外敵から町を守っていた城壁の中を歩きます。
Ete153_2城壁には修復に寄付をした団体名前が埋め込まれています。
Ete155_2ローテンブルクを出発。
Ete156_2ロマンティック街道ローテンブルク古城街道と交差します。 ロマンティック街道の看板には、日本語で“ロマンチック街道”と書いてあります。
ちなみにロマンティック街道は、ローマ人によって作られた街道で、もともと"ローマへの巡礼の道”という意味です。残念ながら(?)日本語で言う、ロマンティックな街道という意味ではありません。
Ete157_2これから中世の雰囲気が色濃いロマンティック街道沿いの町を訪ねます。
Ete162_2ディンケルスビュールを車で通ります。

ローテンブルクに比べ小規模ですが、、そのため更に中世の面影が色濃く残る町と言われています。毎年7月中旬に行われる、三十年戦争の時に子供達が敵将に町を救ってくれるように懇願し、赦されたという故事に基づいて行われる子供祭りが有名です。

ローテンブルクに比べて観光客が少ないので、中世の雰囲気の中、カフェでゆっくりしたい人にはお薦めの町です。

Ete163_2次の町を目指しロマンティック街道を走ります。
Ete164_2塔が見えてきました。
Ete165_2ネルトリンゲンに到着。ディンケルスビュールよりもさらに小さな町で、中世の生活を研究する歴史学者にとって重要な町だそうです。南ドイツらしい家。
Ete176_2ネルトリンゲン聖ゲオルク教会。89.9メートルの塔は“ダニエル”の愛称で呼ばれ、上まで登れば、直径約25キロのリース盆地の眺めが一望出来ます。
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Ete169_2この町の看板も素敵でした。
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Ete171_2交易や織物業で町が繁栄していた15世紀に出来た、町の集会兼舞踏場で、商館や倉庫も兼ねていたタンツハウス
Ete174インフォメーション近くでマルシェをやっていました。
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Ete172ここからもダニエルが見えます。
Ete177この町もローテンブルクのように、城壁の上を歩けます。
Ete178再びロマンティック街道へ。ヴィルニッツ川沿いの人口6,000人ほどの城下町ハールブルクに向かいます。
Ete184 ネルトリンゲンを出て、15分程で、街道を監視するかのようにそびえ立つ赤い屋根の城が突然現れるますが、車はトンネルに入るためすぐにお城はすぐに見えなくなってしまいます。この辺りに出没した山賊や、追い剥ぎから旅人達を守るため、12世紀に築かれたそうです。

日本では知られていませんが、ハールブルク城は一度も陥落せず、ドイツの古城の中でも保存状態の良さで有名なお城です。
Ete181色々な角度から。

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Ete185ドナウ川を渡ります。 

ドナウ川というとオーストリアの川というイメージですが、その水源は南ドイツの森林地帯に発し、ドイツ国内を東へと流れてオーストリア、ハンガリーへと流れる全長285キロの大河で、大型船の航行も可能な一級河川です。この辺りではまだ川幅も狭いですが、ここでヴェルニッツ川と合流し、さらに10キロ下流でレッヒ川と合流し水量が一気に増すそうです。

美しく青きドナウと歌われたドナウ川ですが、ウィーンでもそうでしたが、実際は茶色く濁っています。ただ一説(?)によれば、恋をしている人にだけは、ドナウは青く美しく見えるそうです(!)。
Ete187橋にはDonauと表示されています。
Ete188アウグスブルク到着。
Ete189アウクスブルクは、大富豪フッガー家が栄華を極めたルネッサンス都市です。
Ete191マクシミリアン通り
Ete192これまで見てきたロマンティック街道の町とは違う“都市”の雰囲気。
Ete193マクシミリアン通りの南端にプロテスタントとカトリックの教会があります。

左の奥の大きな教会が、カトリックの聖ウルリヒ&アフラ教会で、手前の小さい教会が、プロテスタントのウルリヒ教会です。
Ete194 ノイシュバンシュタイン城に行く前に、一旦ロマンティック街道をそれて、世界遺産のロココ様式のヴィース教会に向かいます。



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2009-08-16

城壁に囲まれたロマンティック街道の中世の宝石、ローテンブルクへ

Ete74ロマンティック街道はマイン川流域のフランケン地方の古都ヴュルッツブルグに始まり、ミュンヘンの西、アルプスの麓にあるフュッセンまでの350キロのルートです。

街道が縦横無尽に走っているドイツ(小さなものも含めると150以上あるそうです)、その街道の中でも一番日本で有名なのはロマンティック街道です。

日本人観光客の多さのためか、街道沿いには日本語の標識をよく見かけます。ローテンブルクは、“ロマンティック街道の宝石”と謳われるほど、中世の町並みがそのまま残る美しい町です。
Ete75家々の窓にはたくさんのお花が飾られています。
Ete72ドイツで看板といえば、ローテンブルクの看板だそうです。
Ete76ローテンブルクでは、看板をつける高さ、場所、大きさが統一されていて、町中の看板を見て歩くだけでも楽しいです。
Ete135精巧な細工で芸術作品のようです。
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Ete81ローテンブルクの名物菓子シュネ-バル。その名の通り、雪の玉のような、ソフトボールくらいの大きさのお菓子です。
Ete79名前から考えると粉砂糖かけのものがオーソドックスなものなのでしょうけれど、チョコレートがけのものなど、色々な種類があります。
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Ete86夕方到着したので、残念ながらお店は閉まっていて買えませんでした。
Ete85ドイツで最大級のテディベアの専門店、テディランド
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Ete91フランツィスカーナ教会
Ete100今日の夕食は、3代続く家族経営のバイエルンとシュバーベン地方の郷土料理が評判の“クロースターシュテュープレ”で。
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Ete98木陰のテラス。
Ete93まずはビール!
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Ete94これは、シュバーベン地方の名物料理のマウルタッシェンMAULTASCHEN)の一種だと思いますが、豚肉とほうれん草などを包んだ焼き餃子のようなもで、美味しかったです。
Ete95ドイツといえば、グリルソーセージ!やっぱり本場は美味しい!
Ete96名物のトロッケン(辛口)ワイン。
Ete101食後に町を散策します。
Ete102ホテル。
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Ete106一年中クリスマスグッズ゛を販売しているケーテ・ヴォールファールトのクリスマスマーケット。
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Ete120_2ローテンブルクの中心、マルクト広場の市庁舎
Ete109Ete112市議宴会館
。夏季は、昼間の11時~15時まで各1時間ごととに加え、21時と22時に仕掛け時計が動きます。21時近くになると人が集まってきました。

仕掛け時計の内容は、“マイスタートルンク”の伝説を伝えるものだそうです。
Ete113マイスタートルンク”とは、三十年戦争時代にローテンブルクを破壊から救ったという大酒飲みの市長ヌッシュのことだそうです。

三十年戦争の際に、敵軍に囲まれたローテンブルクは陥落し、敵方の将軍ティリーが、市庁舎に乗り込みます。町のお偉方にローテンブルク自慢のワインでもてなされた
将軍はほろ酔い気分で、「この特大ジョッキに注がれたワインを一気に飲み干すものがいたら、町を焼き払わずにいてやろう」といいだします。

ジョッキは3.25リットル入り、受けてたったヌッシュ市長は、見事にワインを飲み干して、町を破壊から救ったという伝説です。ワインを飲み干して町を救った市長さん(右)と攻めてきた将軍(左)の人形が時計の左右の窓から出てきます。
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Ete118飲み干しました!
Meitertrunkこの伝説は、毎年行われるマイスタートルンクの祭りで歴史劇として上演されるそうです。市長を演じる役者さんは、本当に3.25リットルのワインを一気に飲むそうです(写真は、マイスタートルンクのサイトから)。
Ete110皆写真を撮っています。

Ete108 Ete119
Ete123 明日は朝早く出発するので、食べ損なってしまったと諦めていましたが、早くから開いているお店があったので、シュネーバルを買いました。

ひも状の生地をぐるぐるとまとめて揚げてあって、ちょっと大きいですが、堅いドーナツのような食感でサクサクしていて美味しかったです。
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Ete145聖ヤコブ教会
Ete131木組みの家々と塔が作り出す構図のプレーンラインという小さな広場の周辺が、最もローテンブルクらしい風景として有名です。
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Ete147ホテルに戻ります。

(本日の走行距離:653km)











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2009-08-11

ドイツ最古の大学都市ハイデルベルク(Heidelberg)から古城街道へ

Ete1家の近くのラヴェンダーも花盛り。夏休みにドイツ、スイス、イタリア、スペイン、フランスと車で回りました。ヨーロッパではとても有名なのに、日本ではあまり知られていない観光地にも多く訪れたので、しばらく綴りたいと思います。
Ete2 ドイツまでの途中の休憩場所には、風力発電機がすぐ近くにありました。

近くで見るとかなりの迫力です。日本では騒音問題があるようですが、例えばフランスだと農地面積が400ヘクタールなどは普通なので、農家が土地を提供した場合、
1基あたり年に4,000ユーロの借地代が支給されるため、土地を提供したいと申し出る農家が沢山あるそうです。
Ete3古城街道の街、ハイデルベルグに到着。車を停めて、小高い山にそびえるハイデルベルグ城まで坂を上がっていきます。
Ete16Ete7_2ハイデルベルグ城のフリードリヒ館
のテラスからは、
Ete10
Ete11ネッカー川にかかる美しいカール・テオドール橋、赤レンガ色の建物が並ぶ旧市街のドイツのイメージを象徴するような景色を眺められます。
Ete13観光地として絶大な人気のあるハイデルベルグ。ドイツで確実に日本人に会える街のひとつだそうです(実際その日も何組かの日本からのツアーを見かけました)。
Ete12ハイデルベルグ城は、13世紀にプファルツ伯の居城として建てられてから、ゴシック様式、ルネッサンス様式、バロック様式など時代ごとに改築、増築を行ったため、ユニークな建物となっています。戦争や度重なる火事で破壊されたので、一部は再建されていますが、
Ete14廃墟のままの部分もあります。
Ete15ゲーテやショパンなど多くの詩人や芸術家がこの街を愛し、多くの作品を生み出しました。
Ete17ネッカー川の優しい流れに沿って古城街道を走ります。
Ete18古城街道は、その名の通り、古城が街道沿いに点在(約70以上)するルートです。
Ete20古城街道はネッカー川がライン河にそそぐ、マンハイムから始まります。ハイデルベルクを通り、ネッカー渓谷をさかのぼり、ハイルブロンで方向を転じ、ローテンブルクロマンティック街道と交差したのち東へ進み、画家デューラーの町ニュールンベルクまでの約300キロの道に、1954年に観光促進を目的として古城街道という名がつけられました。街道は東西ドイツの統合後、さらに東へと延長され、現在はチェコのプラハまで続く1,000キロに近い国際的なルートです。
Ete21古城街道は中世の頃から旅人の往来で賑わっていたそうです。街道沿いにはネッカー川を通行する船から通行税を取るための城、盗賊が船から物資を巻き上げる為に建てた城や、中世騎士の城、軍事目的で築かれた要塞など数多くの城が残されています。
Ete22お城と一言に言っても、一地主が暮らした小さな館から、王侯貴族などの権力者の城館まで、大きさは様々です。ちなみにドイツ国内には2.000とも2万とも言われる古城があると言われています(数の違いは、廃墟の城や、個人の館のような小さなものまでを数に含めるかによって違ってくるそうです)。ちなみに、ドイツで語で“ブルク”は、城塞をためのお城で、“シュロス”は王侯貴族の城館といった意味だそうです。
Ete2312、13世紀頃ドイツでは築城ブームが起こり、そのころに神聖ローマ帝国を支配していたシュタウフェン家がこの辺りのシュバーベン地方の出身であったためか、この辺りには特に城が多く建てられているそうです。
Ete24その殆どが、度重なる戦禍を受けて築かれては壊され、焼かれては修復されといった運命を辿って、現在に至っています。
Ete25盗賊騎士の城ネッカーシュタイナッハ
Ete26町を取り囲むオーデンヴァルトの山の中腹に城跡が2つ、さらに並んで2つの城があり、通称“4つの古城の町”と呼ばれています。

ハイデルベルク側から見て最初の城が、“ツバメの巣城”と呼ばれる、シャデック城。この城の後に、前の城(Vorderbrug)、中の城(Mittelbrug)、後の城(Hinterburg)と3つ続きます。とりわけ“ツバメの巣城”が有名で、この城の主盗賊騎士シュタイナッハのブリッガーは、ネッカー川を通る舟や旅人を襲ったり、狼藉を働いたそうです。そのためブリッガーは“国荒らし”という異名で呼ばれたが、十字軍遠征時代、皇帝によってその大胆不敵な行動が称えられ、そのお墓はシュタイナッハのプロテスタントの教会に置かれているそうです。

古城街道沿いのお城は、ノイシュヴァンシュタイン城のように優雅で美しいお城ではなく、ほとんどは中世に建てられたもので、外見はこのように城塞という感じのものです。
Ete27古城街道をサイクリング。
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Ete32小高い丘を登り、お城を目指します。
Ete33シュロスホテル・ヒルシュホルン。古城街道で一番人気のある古城ホテルです。
Ete34ヒルシュホルン(鹿の角の意)は、城壁に囲まれた中世の雰囲気の濃い町で、ネッカーの谷の真珠と言われています。

町を見おろす山上に白くたたずんでいるのは、悲劇の一族ヒルシュホルン家の居城。

ヒルシュホルン家はこの町のあるじだった裕福な一族で、ネッカー河畔の各所で勢力を誇っていましたが、一族の最後の騎士フリードリッヒが若い頃、ハンシュースハイムのハンスという騎士を決闘で殺してしまったため、ハンスの母親に呪われ、フリードリッヒのたくさんの子供達は皆幼くして死んでしまいます。その中でたった一人成人した息子がいたが、その息子もハイデルベルク城で殺されてしまい、一族の血筋は絶えたという悲劇が語り継がれています。
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Ete44このホテルはネッカー川の背後に建っています。
Ete45ライン河の支流、ネッカー川の眺めが絵のように美しいです。
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Ete46ウエディング・パーティーが行われていました。
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Ete52古城街道から左手の切り立ったがけの上に建つツヴィンゲンベルク城(シュロス・ツヴィンゲンベルク)

このツヴィンゲンベルク城は戦乱にもあわず、後世手を入れられることもなく、中世後期のまま保たれていて、古城街道で一番美しい城と言われています。

現在は、バーデン伯爵の私邸なので未公開ですが、ウェーバーがこの城の背後の“狼の谷”と呼ばれる深い谷で、歌劇「魔弾の射手」のインスピレーションを得たと言われることを記念して、毎年8月にはシュロスコンサート(古城音楽祭)が開催され、お城の中庭でオペラが上演されるそうです。
Ete53ネッカー川は湾曲しながら、伝説に満ちたオーデンヴァルトの森を蛇行します。
Ete54古城街道の看板。
Ete60次のお城は、
Ete59古城街道の中でもワインで有名なネッカー渓谷で最古(8世紀に建てられたと言われています)の城、ホルンベルク城
Ete58中世の英雄的な騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンが1517年頃に所有したことから、“ゲッツの城”の名で呼ばれています。

ゲッツは右手を戦いで失った後も鉄製の精巧な義手で剣を操り、無類の強さだったので“鉄腕ゲッツ”と称えられました。ゲーテの「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」によって、ゲッツの名は世界に知られるようになりますが、最後まで自由のために戦い、壮烈な最期を遂げたゲーテの作品とはちょっと違い、当時としては珍しい81才という長寿を全うして、この城で生涯を終えているそうです。

現在ゲッツの居館の部分はブルクホテル・ホルンベルクという名前のホテルとなっています。 
Ete61ホテルのフロントには、ゲッツの甲冑が展示されています。
Ete62ホテルの周りのブドウ畑(このホテルはワインで有名です)。
Ete56敷地内のワインショップで、何本かワインを購入。
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Ete65再び古城街道を走ります。

前方に古城が見えてきました。ネッカー渓谷の中でハイデルベルク城に次ぐ大きさのドイツ騎士団の城、ホルンエック城(シュロス・ホルンエック)です。

四角い形に真ん中に塔がある比較的単純な姿は18世紀に立て直され一見、現代のモダンな建築に見えますが、
Ete66下部には城壁が築かれてあります。

15世紀にはドイツ騎士団の居城になり、ドイツよりはるか東欧諸国のスラブ民族の侵入の阻止、彼らへのキリスト教への改宗、及び東方の植民地の確保等、様々な活躍をしていたそうです。

古城は維持するのが難しく、現在はホテル、レストランになっているのが多いですが、このお城は老人ホームとして使用されています。また城の一部をルーマニアの郷土博物館として一般公開しているそうです。
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Ete68走っているとどんどんお城が現れるので、多くの写真は取れませんでしたが、楽しいドライブでした。
Ete70ロマンティック街道の入口。最も日本人の観光客が多いローテンブルクへ向かいます。








☆お気に入りロゼワイン☆

最近頂いたロゼは、キンタ・イノハル・ロゼ〔2007〕とメルロー70%、カベルネ・フラン30% のサンテミリオンのロゼワイン、エミリオ・ロゼ〔2006〕ですが、個人的にはエミリオ・ロゼが好みでした。色も綺麗ですし、スミレ、ラズベリー、ブルーベリー、アプリコットジャムのアロマ、果実味たっぷりの華やかなロゼワインです。



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2008-12-23

カール大帝の大聖堂・世界遺産アーヘン大聖堂

Noel121_2ファルケンブルグから車で20分のアーヘンに到着。
Noel169今回の目的は前回訪れなかったアーヘン大聖堂(世界遺産)と、ライブクーヘン(細かく刻んだジャガイモを揚げたもの)前回訪れた際に食べたときの美味しさが忘れられなくて)をいただくことです。
Noel124_2アーヘンのクリスマスマーケット。後ろに見えるのはゴシック様式の市庁舎です。
Noel130早速マーケットの中に突入します。
Noel123Currywurst(カリーヴルスト、カレーソーセージのことです)売り場。
Noel125ライブクーヘン売り場を発見!
Noel126少し待つと、揚げたてのライブクーヘンが運ばれてきました(右)。

Noel127熱々のライブクーヘンに、りんごのソースをつけていただきます。美味しい!
Noel128_2ホットドック。ブリュッセルのクリスマスマーケットのホットドックとは、ソーセージの大きさも美味しさもレベルが違いますね。さすが本場!
Noel129 フリット。ドミグラスソース風味のケチャップが良く合います。
Noel122ゴシック様式の市庁舎
Noel132アミアン大聖堂のタンパンのキリストに似ています。
Noel131市庁舎のテラスから。
Noel133お腹も落ち着いたので、アーヘン大聖堂に向かいます。
Noel134以前のブログで書いたアーヘナープリンテン(Aachener Printen)の老舗の「Nobis」。
Noel165八角形のドーム礼拝堂が特徴的な世界遺産のアーヘン大聖堂

この大聖堂は、カール大帝が建てた八角形の宮廷礼拝堂に、ゴシック様式の聖堂を併設したものです。大聖堂は768年から基礎工事が始まり、798年に丸屋根を持つ八角形の大聖堂が建てられ、805年に落成したそうです。

礼拝堂のまわりのゴシック様式の聖堂は中世(1414年)に建てられたもので、全体としてロマネスク様式とゴシック様式双方の特長を併せ持つ美しい教会となっています。
Noel135大聖堂は、「皇帝の大聖堂」(Kaiserdom)と言われ、北部ヨーロッパでは最古のものだそうです。

8世紀末にフランク王国のカール大帝(西欧に安定をもたらしたこと、古代ローマ、キリスト教、ゲルマン文化の融合を実現したことなどの功績から、ドイツ・フランス両国から偉大な王として評価されています。フランス語だとシャルルマーニュですね)は、国土の中心に位置するアーヘンに宮殿を置き、宮殿の礼拝堂としてアーヘン大聖堂を建設しました。

Noel13610世紀中頃に大帝の玉座が作られ、以降約6百年間、30人もの歴代の神聖ローマ皇帝の戴冠式が行われました。ちなみにカール大帝は、この大聖堂に埋葬されています。
Noel139カロリング朝ルネサンス(カール大帝が計画した教会・典礼・宗教芸術を通しての古代の学芸復興および古代ローマの再興)様式の白眉と言われる宮廷礼拝堂
Noel140 この柱は、786年にイタリアのローマとラヴェンナから来たと言われています。他の教会と違うのは、これらの柱が主に装飾のために用いられているということです。

1794年にナポレオンの軍隊がアーヘンに来て、柱をパリのルーブル美術館へ持ち去りました。しかし19世紀の中頃にプロイセン政府がアーヘンを奪還したため、プロイセン政府は、柱の返還をフランスに要求し、フランスは全16本のうちの10本を返還します。

パリから持ち帰る際に2本が壊れたため、現在大聖堂で見られる当時の柱は8本で、その他の柱は19世紀に取り付けられたものだそうです。
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Noel143ロマネスク様式、モザイク装飾の八角形の天井ドーム。中心部は32メートルもの高さがあります。
Noel149ガラスの礼拝堂と呼ばれる美しい礼拝堂。15世紀にステンドグラスとゴシック様式の内陣が完成しました。パリのサント・シャペルを参考としたそうです。
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Noel147天井から下がるマリア像。
Noel155違う角度から。
ステンドグラスは高さ25m、世界で一番高い中世のステンドグラスだそうです。総面積は1,000万㎡もあるそうです。

前方のステンドグラスは、第二次世界大戦時の爆撃により破壊されてしまったため1951年に修復されたものだそうですが、後方のステンドグラスは昔のままの姿で残っています。荘厳さのなかに華やかさのあるステンドグラス、美しさにしばし言葉を失いました。
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Noel148祭壇には金板にキリストの受難が描かれています。内陣にある装飾物は、すべて11世紀から伝わる金箔が使用されているそうです。
Noel153全ての壁や回廊にも柄が描かれています。
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Noel157小礼拝堂へ。
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Noel158小礼拝堂のステンドグラスも素晴らしいです。
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Noel137_2フランク王国の繁栄ぶりを身をもって感じました。
Noel167 アーヘンの町並み。
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Noel168マリオネットの銅像。触って色々と形を変えることができるので、子供たちに人気です。
Noel170プリンテンの風船で出来た飾り。
Noel176前回も来たグリューワイン(ホットワイン)のスタンドへ。
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Noel174皆楽しそうに飲んでいます。真っ赤なお顔のおじさんは、
Noel175 トナカイになって、はい、チーズ!
Noel173グリューワインは、ワインそのものもさることながら、毎年変わるカップのデザインも楽しみのひとつです。今年のデザインはこんな感じでした。
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Noel177 お腹いっぱいだったのですが、別のライブクーヘンのスタンドを発見。思わずまた購入してしまいました。最初に食べたスタンドの方が、脂っぽさが少なく美味しかったです。
Noel178 モンシャウのクリスマスマーケットにもあったマッシュルーム炒めのスタンドもありました。もうこれ以上いただけないので、次回訪問時のお楽しみにとっておくことに。



いつも読んで下さっている読者の皆様、ありがとうございます。
良いクリスマス、良いお年をお迎えくださいね。

Joyeux Noël et Bonne Année !

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