ヨーロッパの美術館・展覧会

2009-06-15

印象派の道、ノルマンディ地方へ⑥オンフルールの印象派の父・ウジェーヌ・ブーダン美術館(Musee Engene Boudin)

Normandie97_2オンフルールには、オンフルール生まれのウジェーヌ・ブーダンの美術館があります。
Normandie178ブーダンは、青空と白雲の表現に優れ、コローから「空の王者」としての賛辞を受けます。またモネの才能を発見し、モネにイーゼルを持ち、屋外で絵を描くことを教え、後の印象派の形成に決定的な役割を果たした画家です。

Normandie98 クールベモネなどノルマンディに滞在した画家の作品と共に、約60点のブーダンの作品が展示されています。
Normandie99cmモネ「サント・カトリーヌ教会」(1867)。
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Normandie101cmモネ「エトルタ」(1884)。
Normandie102gcクールベ「オンフルールの近くの浜辺」(1866)。
Normandie103ebブーダン「ディエップの港」(1896)。

ウジェーヌ・ブーダン美術館(Musée Eugène Boudin)
Place Erik Satie
Honfleur
Tel : 02 31 89 54 00

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2009-06-12

印象派の道、ノルマンディ地方へ⑤オンフルール(Honfleur)出身のエリック・サティの家(Maison Satie)

Normandie94 オンフルールの旧市街には、近代フランスを代表する音楽家エリック・サティのコロンバージュが美しい生家があります。

サティは独特なタイトルの曲を多く書きましたが、本人が述べている通り、快適で邪魔にならない“家具のような音楽”が多く、また現代の映画音楽や環境音楽のさきがけとなるような実験的な音楽も作曲しています。サティに詳しくない人でも、一回は「三つのジムノペティ」「お前が欲しい」などの繊細なメロディを聞かれたことがあると思います。

「生まれるのが早すぎた」と評されるサティは、その類稀なる才能と前衛性から、生前は人々に理解されることなく、貧困の中その生涯を閉じます。彼はパリ音楽院でアカデミックな音楽教育を受けましたが、基本的には独学で作曲法を習得します。そのため、ジャンルの枠にもとらわれず、大衆を意識した作品を制作することからも逃れ、既成のルールに縛られない独自の音楽を追求します。

サティのメロディの奥には深いテーマが潜んでいて、そのスピリチュアルな世界がきっと胸に響くのだと思います。
Normandie95 「フランスの音楽家エリック・サティ(1866-1925)は、ここで生まれました」
Normandie96エントランス。黒い山高帽、丸くて厚い鼻眼鏡、黒い上着、藤のステッキというサティのトレードマークのイラストが迎えてくれます。1998年オープンということでまだ新しいです。

伝統的な建物の外観とは裏腹に、内部は、サティの奇抜なエスプリを体感できるような美術館になっています。アルセーヌ・ルパンの館のように、ヘッドフォンを借りてサティの曲やサティ自身が話しているような解説を聞きながら部屋を回ります。
Normandie85「梨の形をした三つの小品(3 Morceaux en forme de poire)」から巨大な洋梨が中からふわふわと照らされながら浮遊しているインスタレーション(立体作品を壁や床に設置して,空間を意識的に表現する方法・およびその作品)。

「梨の形をした三つの小品(3 Morceaux en forme de poire)」は、ドビュッシーに「あなたの曲には形式というものが欠けている」と批判され、作った曲だそうです。「梨の形という曲名なら、フォルムがないとは誰も言わない」とサティは言ったそうです。

また、洋梨にもうひとつの隠された「まぬけ、うすのろ」といった意味を含めて、ドビュッシーの忠告に皮肉な意味を持って応じたそうです。
Normandie87サティにちなんだ光、音、映像、オブジェを組み合わせた不思議な空間を体験できます。
Normandie88クローゼットを模した「自己満足な孤独」。

サティの作品は、曲のタイトルが変わっています。「乾涸びた胎児」、「犬のためのぶよぶよした前奏曲」、「なまこの胎児」、「いんげん豆の王様の戦争の歌」、「アーモンド入りチョコレートのワルツ」「いやらしい気取屋の3つの高雅なワルツ」、挙げるときりがないですが、これらに由来があるものもあるそうですが、奇妙なネーミングは、曲名によって作品を判断しようとする人々への皮肉、と見るのが通説のようです。
Normandie90直筆の手紙や楽譜、サティの音楽を具象化したオブジェが展示されています。
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Normandie89作曲だけではなく、作家、画家としても幅広く活躍したこのサティは、ピカソ、コクトー、ラヴェル、ドビュッシー、ストラヴィンスキーなど同時代の錚々たる芸術家たちと交流し、影響を与えます。彼らとの会話がヘッドフォンから流れます。
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Normandie175「演奏できない楽器」。
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Normandie179Normandie91繊細なサティの音楽をイメージしたような白い部屋の白い自動演奏ピアノが、サティの代表作品を演奏しています。
Normandie93サティの時代の小劇場。
Normandie92サティに少し近づけたような気がします。

サティの家(Maison Satie)
67, boulevard Charles V,
14600 Honfleur
Tel: 02 31 89 11 11

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2009-06-08

印象派の道、ノルマンディ地方へ②印象派が生まれた街・ル・アーブルのマルロー美術館(Le musée Malraux)

Normandie26エトルタの南約20キロ、パリを流れるセーヌ河が大西洋に注ぐその河口の町が、モネのルーツ、印象派の出発点となる街、ル・アーブルです。

第二次世界大戦で壊滅的な被害を被ったため、町の大部分は戦後に再建されました。その後の建築家オーギュスト・ペレによる都市計画が認められ、2005年に世界遺産に登録されています。

Normandie54この港町で夜明けの海を描き、完成された作品が、のちに印象派絵画の誕生を宣言することになるモネの「印象・日の出」です。
Photo「印象・日の出」。1873年印象派はここル・アーブルで生まれました。
Normandie53そんなル・アーブルにふさわしく、この街にはフランス第二の印象派コレクションを有すると言われているマルロー美術館があります。

当時文相を務めていた作家マルローは、第二次世界大戦で破壊されたル・アーブル美術館の代わりに新しい美術館を1961年に創設しました。
Normandie52広々とした外光が入る明るくモダンな館内。印象派の絵を鑑賞するにはぴったりです。
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Normandie51 モネの師匠であるブーダンデュフィモネはもちろん、ル・アーヴルの町にインスピレーションを受けたクールベコロールノアールシスレーなどの作品があります。
Normandie36bウジェーヌ・ブーダンは同じくノルマンディ地方のオンフルール生まれ。モネをはじめ、印象派の画家達に影響を与えた19世紀の画家です。 この美術館にはブーダンの作品が100点以上あるそうです。
Normandie49bブーダンの主題は自然の風景で、特に海と空を強調した絵画を多く描いています。ブーダンがノルマンディの海を描いた作品。
Normandie46cmブーダン「エトルタの断崖(Falaise a Etretat)」(1890-1894)。
Normandie48bヴェニスの作品も。

モネと出会ったのは、ブーダンが34歳の時です。ル・アーブルで似顔絵や風刺画などを画材屋さんの店先に並べてもらっていた当時17歳のモネの作品を見て、ブーダンはモネを誘い屋外で絵を描くことを教えます。屋外で素早く絵を仕上げるブーダンに感化され、モネは画家になる決意をします。
Normandie38bノルマンディ地方でよく見かける牧歌的な光景シリーズ。
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Normandie27cmモネの「ヴァランジュヴィルの断崖(Les Falaises de Varengeville)」(1897)。モネは、5歳の時パリからル・アーブルに移ります。
Normandie28rルノワールの「観光客(L'Excusionniste)」(1888年)。
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Normandie29dデュフィの生誕地
だけあって、素敵な絵が沢山ありました。「花の中のジャンヌ(Jeanne dans les fleurs)」 (1907)。
Normandie139 「カジノ・マリー・クリスティーヌとル・アーブルの海岸(Le Casino Marie-Christine et la plage du Havre)」(1910)。
Normandie30d「海辺を散歩する人々(Promeneur au bord de la mer)」(1925)。
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Normandie31d_2「海辺とル・アーブルの防柵(La plage et l'estacadeau)」(1926-1930)。
Normandie33d「ル・アーブルの思い出(Souvenir du Havre)
」(1921)。

Normandie35d花瓶も。「水浴する女性達と白鳥(Vase aux baigneuses et cygnes)」(1930)。
Normandie32sシスレーの「モレの橋、雷雨の効果(Le pont de Moret, effet d'orage)」(1887)。
パリで生まれたイギリス人のシスレーが、晩年の20年を過ごしたモレ・シュール・ロワン(Moret sur
Loing)
です。
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Normandie47as「サン・マメスのロワン川(Le Loing a Saint Mammes)」(1885)。初期のシスレーの絵は、色彩が地味で暗い感じの絵が多いのですが、年を経るに従って、
Normandie138多彩で明るい色使いに変わっていきます。
Normandie133 「夜明けのセーヌ川(Le Saine au Point-du-jour)」(1877)。
Normandie136ドラクロワの「狩猟犬を連れたファウストとワーグナー(Faust et Wagner avec le barbet)」。
Normandie45ed「シャンプロゼーの景色(Paysage a Champrosay)」(1849)。
Normandie34bブラックの「オンフルールのコート・ド・グラース(La Cote de Grace a Honfleur)」(1905)。コート・ド・グラース
は、オンフルールの丘で、印象派の画家達・多くの芸術家(エリック・サティもここで曲を書いたそうです)に愛された場所だそうです。
Normandie47hmマチスの「水差しの静物画(Nature morte au pichet)」(1896-1897)。
Normandie135「南仏の風景または道り(Paysage ou Rue dansleMidi)」(1919)。
Normandie142ゴーギャンの「タヒチの景色(Paysage de Te Vaa)」(1896)。
Normandie40gc クールベの「波(La Vague)」(1869)。
「パラヴァスの海辺(La mer aPalavas)」(1854)。

Normandie44p ブルゴーニュのソーリュー出身のフランソワ・ポンポンの熊の彫刻。







Le musée Malraux
2 boulevard Clemenceau
76600 Le Havre
Tel: 02 35 19 62 62

☆今日の動画☆

インターネットを通じて新人アーティストをみんなでプロデュースしていくレーベルMy Major Companyから生まれたグレゴワ-ル(Grégoire)のトワ・プリュス・モア(Toi Plus Moi)。フランス、ベルギーで人気です。

Toi Plus Moi

Toi plus moi, plus eux plus tous ceux qui le veulent,
plus lui plus elle et tout ceux qui sont seuls
allez venez et entrez dans la danse
allez venez, laissez faire l'insouciance

A deux a mille je sais qu'on est capable
tout est possible tout est réalisable
on peut s'enfuir bien plus haut que nos rêves
on peut partir bien plus loin que la grève

Oh toi plus moi, plus tous ceux qui le veulent,
plus lui plus elle plus tout ceux qui sont seuls
allez venez et entrez dans la danse
allez venez c'est notre jour de chance

avec l'envie la force et le courage
le froid la peur ne sont que des mirages
laissez tomber les malheurs pour une fois
allez venez , reprenez avec moi.

Oh toi plus moi, plus tous ceux qui le veulent,
plus lui plus elle et tout ceux qui sont seuls
allez venez et entrez dans la danse
allez venez laissez faire l'insouciance

je sais c'est vrai ma chanson est naïve
même un peu bête , mais bien inoffensive
et même si elle ne change pas le monde
elle vous invite a entrer dans la ronde

Oh toi plus moi plus tous ceux qui le veulent
plus lui plus elle et tous ceux qui sont seuls
allez venez et entrez dans la danse
allez venez c'est notre jour de chance

l'espoir l'ardeur font tous ceux qu'il te faut
mes bras mon coeur mes epaules et mon dos
je veux te voir des étoiles dans les yeux
je veux nous voir insoumis et heureux

Oh toi plus moi plus tous ceux qui le veulent
plus lui plus elle et tous ceux qui sont seuls
allez venez et entrez dans la danse
allez venez, laissez faire l'insouciance

Oh toi plus moi plus tous ceux qui le veulent
plus lui plus elle et tous ceux qui sont seuls
allez venez et entrez dans la danse
allez venez c'est notre jour de chance

Oh toi plus moi plus tous ceux qui le veulent
plus lui plus elle et tous ceux qui sont seuls
allez venez et entrez dans la danse
allez venez et entrez dans la danse

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2009-05-22

アルザスワイン街道の旅⑮イーゼンハイム祭壇画所蔵のウンターリンデン美術館(Musee D'Unterlinden)へ

コルマール(Colmar)に来た目的は、このウンターリンデン美術館(Musee D'Unterlinden)を訪れることです。

この美術館の最大の見所は、世界的に有名なイーゼンハイム祭壇画です。

Alsace91 かつては修道院だったところが美術館になっています。
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Alsace51中世末期からルネッサンス期の絵画や彫刻が展示されています。アブラハムの懐(正しきものが死後天国へ連れて行かれること)。

Alsace53エジプトのマリアの最後の聖体拝領。


Alsace5513世紀に造られたゴシック様式の回廊。
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Alsace59ゴシック時代の板絵。
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Alsace62中世に作られた彫刻。
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Alsace65ついにグリューネヴァルト作のイーゼンハイム祭壇画が見えてきました。この場所はかつてシャペルとして使われていたそうです。
Alsace67 中央パネルは十字架上のキリストの左右に聖母マリア、マグダラのマリア、使徒ヨハネ、洗礼者ヨハネなどを配した、凄惨で生々しい描写(苦痛で指先がひきつっているなど)が特色のキリスト磔刑の場面。

聖母マリアも普通の一人の母のように描かれているところも相まって、この絵はキリストの磔刑図という宗教的なテーマを超えて、すべての人間に訪れる“死”がテーマとなっているように感じられました。

左パネルには聖セバスティアヌス、右パネルには聖アントニウス、下にはキリストの埋葬の場面が描かれています。裏には、
Alsace71右は“受胎告知”。聖母マリアはかなりショックな様子です。
Alsace69そして左側にはキリスト磔刑図のキリストとは全く違う“キリストの復活”。
Alsace70ジーサス・クライスト・スーパースターというミュージカルがありましたが、キリストはスーパースターだったのかと思わせるような晴れ晴れとした嬉しそうな表情のキリスト。こんなキリスト復活の絵を観たのは初めてです。
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Alsace74“天使の合奏”。
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Alsace76左は、聖ヒエロニムスの誘惑。
Alsace78これはグリューネヴァルトの作品ではないそうですが、
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Alsace81ヒエロニムス・ボッスの絵のような化け物の姿にはを目が釘付けです。
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Alsace85ウンターリンデン美術館(Musee D'Unterlinden)のブティックで。

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2009-02-08

ロワールワインを巡る旅⑥ラ・トゥールを3点も所蔵!ナント美術館(Musee des Beaux-Arts)

Hiver121 ナントブルターニュ大公城。ブルターニュ公国の大公フランソワ2世によって建築が始められ、彼の娘アンヌ・ド・ブルターニュによって
完成されました。
Hiver120太い円塔の周りにはお堀の跡が残っています。
Hiver122ナントの勅令(1598年にアンリ4世がプロテスタント教徒らに信仰の自由を認め、宗教戦争の終結させた法令)が発布されたのもこの場所です。
Hiver123お城の近くにあるサン・ピエール大聖堂
Hiver1241970年代の大火で被害を受けて、塔、ステンドグラスなどは新しく作り直されたものだそうです。
Hiver129ナント美術館(Musee des Beaux-Arts)
Hiver130ブティック。
Hiver142_2

Hiver131天窓から光が入り、ところどころにソファーが置いてあるのでじっくり絵画を鑑賞できます。
Hiver132ポール・ボードリー(Paul Baudry)による「シャルロット・コルデー(Charlotte Corday)」

マラーはフランス革命期の急進的な政治党派だったジャコバン派の指導者でした。

シャルロット・コルデーは、マラーと対立する党が刺客として送った女性で、マラー宛ての嘆願書を口実にマラーのアパルトマンに通されます。

皮膚病を患っていたマラーは、浴槽に入ったままで彼女の嘆願書に目を通している隙に、シャルロットが隠し持っていたナイフで胸を刺され殺害されます。
ボードリーの想像らしいですが、優雅な装いです(当時のマラー暗殺の目撃者たちの証言は曖昧で意見が一致しないようです)。その美貌から、暗殺の天使と呼ばれたそうです。最後は断頭台へと消えました。

Hiver133シャルロット・コルデーの眼差しは虚ろで、焦点が定まっていません。自分が犯した事の重大さに気づいたのか、呆然自失、自責とも不安ともつかない複雑な表情をしています。マラーの「貴女が!」という叫び声に人が駆けつけた時、シャルロット・コルデーは窓のそばに石のように立っていたそうです。
Lemortdemarat“マラーの死”と言えば、ダヴィッドの「マラーの死」(ベルギー王立美術館所蔵)が有名です。
ダヴィッドは、マラー率いる革命党の党員で、民衆の前で演説までする過激派だったそうです。
マラーと親しかったため、暗殺の前日にもマラーを訪ねていたそうです。

ダヴィッドの作品は、木箱に“マラーに捧ぐ、ダヴィッド(A Marat DAVID)”と記されていることや、右腕の形がピエタの絵画や彫刻で見られるキリストの右腕の形と似ている点などから、英雄の追悼を目的としたものと言われています。
Hiver134ジョルジュ・ド・ラ・トゥールのコーナー。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、17世紀前半に活躍し、ルイ13世から“国王付き画家”という称号を得ながら、
三十年戦争、フランス革命の混乱の中で作品の多くが消失してしまったこともあり、死後250年間ほとんど忘れ去られていた画家です。

再評価されはじめたのは、20世紀に入ってから。真作はわずか41点(実際はその10倍は描いたと言われています)で、“フランスのフェルメール”とも呼ばれています。

作品の多くは、蝋燭やランプのほのかな光に浮かび上がる静謐な“夜の情景”です。その細密な筆致、光と影の織り成す絶妙なコントラスト、静止し沈黙しているかに見える彼の静かな絵は、この光と影の生み出すドラマティックな効果によって、鑑賞者に言葉なき言葉を雄弁に語りかけてくるような気がします。

作家アンドレ・マルロー「いかなる画家も、レンブラントさえも、このような広大無辺の神秘的な沈黙を、暗示してはいない。夜の国の静謐な部分の唯一の伝達者である」と讃えました。
Hiver135「聖ペテロの否認(Le Reniement de Saint Pierre)」

以前、東京で開催されたラ・トゥール展でこの絵を鑑賞しました。今回の鑑賞は再会です。
ラ・トゥールの作品の中では、年譜が記載されている例外的なもので、1650年はラ・トゥールが亡くなる2年前です。

左側で召使いの問いを受け、否定するペテロ。左の二人は極めて深刻な緊張感をはらんでいるのに対し、画面右側の賭博に打ち興じる兵士たちの姿はより強い光源によって明るく描かれており、むしろ鑑賞者はそちらに目を引かれます。

絵画は二つの光源により画面が分けられてているため、一見散漫な印象を受けますが、良く見ると右端の兵士はいぶかしげな視線をペテロの方に向けており、そのため兵士たちに目を引かれた鑑賞者は、右端の兵士の視線を辿って再びペテロと召使いの場面に引き戻されます。散漫に見える構図にも、ラ・トゥールの深い思慮が働いているのです。
Hiver136ラ・トゥール初期の作品「ヴィエル弾き(Le Vielleur)」

19世紀の作家メリメが「ひどく汚くぞっとするほど真に迫った」作品と評した頃は、スペインの画家の作品だとされていました。

圧倒的な写実的描写の孤独そうな老人の姿は、静謐な雰囲気とあいまって悲愴感を感じさせます。
Hiver137この「聖ヨセフの夢(L'Apparition de l'ange a saint Joseph)」も、東京で展示されていたと思います。

この3枚の絵の中で一番好きな絵です。

幼子イエスの面影を感じさせる、翼がない(ラ・トゥールは、聖母マリアに光輪をつけなかったり、超自然的なものを持ち出さずに宗教画を描いています)美しい少女のような天使がヨセフにお告げをしているシーンです。

天使がかざす手の下で、ランプの炎はかすかに揺らいでいます。ヨセフはまどろみの中で天使の言葉を聞いているのでしょうか。光の中に浮かび上がる天使の優しく穏やかな表情がとてもいいです。何事かを無意識のうちにも予兆しているかのようにまどろんでいるヨセフの顔にはかすかな怖れがあるようにも見えます。

ラ・トゥールの光の表現には、夜の場面に相応しい静謐さや、宗教的な主題の深い精神性を高める効果があります。

ラ・トゥールの絵を見ていると、ふっと画面の中に引き込まれ、ラ・トゥールの世界にいざなわれます。
Hiver138フランス王室画家だったフィリップ・ド・シャンパーニュ(Philippe de Champaigne)「シモンの家での食事(Le Repas chez Simon le Pharisien)」。 

罪深い女であるマグダラのマリアがキリストの足元に駆け寄って、敬意を表わすために主の足を洗っています。何故キリストが罪深い女の敬意を受け入れるのか理解し得ない会食者たちの憤慨・とまどいを前にして、キリストはマグダラのマリアに慈悲を与え、人々に各々の犯した罪を許すよう求めます。
シモンのブルーがかった紫色の衣服とキリストの濃いブルーの衣服のハーモニー、
Hiver139_2キリストの濃いブルーの衣服とマグラダのマリアの金色の髪、金色の服のコントラストが洗練された雰囲気を醸し出しています。
Hiver143クールベ(Gustave Courbet)「麦をふるう女たち(Les Cribleuses de ble)」
Hiver144グイード・レニ(Guide Reni)「洗礼者聖ヨハネ(Saint Jean-Baptiste)」
Hiver145ピカソ最晩年の「杖つく男(Homme assis a la canne)」
Hiver146カンディンスキーの部屋もあって、素晴らしいコレクションでした。「不安定(Fragile, 1931)」
Hiver147「緑の空間(Vide Vert, 1930)」。
Hiver148「優しい出来事(Evenement doux, 1928)」。
Hiver151ナント美術館のカフェでランチをしてから、アンジェ城に向かいます。

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2008-09-26

ディオールの原点!グランヴィルのクリスチャン・ディオール博物館

☆画像をクリックすると拡大されます☆
Dior17 モン・サン・ミッシェルから40キロほどのところにあるグランヴィル(Granville)クリスチャン・ディオール博物館(Musee Christian Dior)

グランヴィルの海を見下ろす高台に、ディオールが幸せな幼少期を過ごした家が博物館として公開されています。

Dior1ディオールの持つエレガンスの真髄は、芸術と自然をこよなく愛し、いつもエレガントに装う母と過ごしたここでの年月によって培われたそうです。

Dior4ディオールの邸宅が見えてきました。

Dior外壁のピンク色がとても綺麗。このピンクと、この庭から見える断崖のグレーとが、ディオールが好んで使っていた配色の由来と言われているそうです。

Dior9昨年の春に訪れたのですが、ディオールがメゾンを開設して60年になるということで、「ディオール:色彩の栄華の60年」という展覧会が開催されていました。

Dior11ディオールの作品における色彩をテーマにしたコレクションが展示されていました。
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Dior6ディオールはファッションだけでなく、庭園もデザインしていました。20歳でデザインしたこの小庭園は、彼の最初の芸術作品だそうです。
Dior2このようなものが庭の数箇所にあって、蓋をあけてディオールの香りを楽しめるようになっています。
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Dior16松林や果樹、バラはどれもディオールの好んでいたものだそう。
Dior3バラのアーチで飾った庭を、エレガントで優雅な母親と一緒に過ごすことがディオールは大好きだったそうです。
Dior19サン・マロ湾。
Dior20人気のリゾート地であるグランヴィルの海岸。庭から海岸に降りられるようになっていました。
Dior18ディオールは、自分の服を身につけた人が単に着飾れるだけでなく、モードを通じて喜び、幸せをもたらしたいという願いから自らを「デザイナー」でなく「幸せの商人」と呼んでいたそうです。そんなディオールのデザインの原点が、グランヴィルの彼の家を訪れて少し感じられたような気がしました。

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2008-02-04

ベルリン散歩⑤世界屈指のコレクション!ベルリン国立絵画館

Berlin105_2ベルリンの国立絵画館(Gemaldegalerie Berlin)。1939年、第2次世界大戦勃発により、ベルリンの博物館はすべて閉鎖され、残念ながら戦中に400点以上の重要な絵画作品が破壊されてしまいました。

戦火を逃れ残った作品も、戦後は東西に分かれて展示されていましたが、ベルリンが統合され、現在はこちらの絵画館に集約されています。

ベルリン国立絵画館の所蔵作品はミュンヘンのアルテ・ピナコテークと同様、所蔵絵画の質・量とも素晴らしいものでした。
Berlin104明るくモダンなエントランスです。
Berlin53天井の照明を見ていただけるとわかると思いますが、部屋はとても照明が明るいです。この明るさがこの美術館の売りの1つでもあるようですが、絵画の写真を撮るときに上部が光ったりするのはしょうがないとしても、鑑賞する際にも照明の明るさで高い位置に ある絵画の上部が光って見えないことが多く、残念でした。
Berlin54デューラー、ホルバインとともにドイツのルネサンス期を代表する画家であるルーカス・クラナッハの永遠の若さへの憧れを表している「若返りの泉」(※画像をクリックすると大きくなります)。
Berlin55画面中央に20人以上の女性が噴水の中で戯れる。よく見ると左から右に若返っています。
Berlin56若くなるためにこの泉にきた老女たち。
Berlin57背景の風景も左側は荒涼としていて
Berlin58右側は緑豊かで、若さを謳歌しています。
Berlin153この絵の左右には一対のヴィーナスとアモールの絵が掛けられています。
Berlin59ピーテル・ブリューゲルの最も有名な作品のひとつ「ネーデルラントのことわざ」
ブリューゲルが活躍した16世紀中期はことわざがはやっていて、ヨーロッパ各地で熱心に格言、ことわざの編纂と出版が行われたそうです。中でもこの「ネーデルラントのことわざ」は、ことわざ図像のハイライトとみなされる作品だそうです。

写真でお分かりの通り、照明が明るすぎて、高い位置に絵がかけてあるため、絵の上部が鑑賞出来ませんでした。楽しみにしていたことわざの1つ、右上にある後ろ向きに手をつないでいる熊の夫婦の絵<野生の熊は熊同士でいることが好きだ>(仲の良い動物のつがいに人間も見習うべき、という格言)も観る事が出来ませんでした。
Berlin62絵の前にはことわざの説明があります。
Berlin65左は親指の上で回る世界(意のままに支配する者)、右は覆水盆に返らず
Berlin68 <夫に青いマントを着せる妻>。青いマントは裏切りや欺瞞、不義を意味し、妻の肉体的な裏切りや金銭目的の結婚であることを示しているそうです。
Berlin72左は子牛が溺れた後に穴を塞ぐ(有事が起こった後に対策を講ずる)、右は世渡り上手は身を屈める(出世の為の狡猾な手段)
Berlin69辛らつな風刺や教訓が描かれていますが、ユーモラスで見ていて楽しいです。<豚の毛を刈る者>。家畜の毛を刈る二人の者の内一人は羊の毛を刈り、もう一人は豚の毛を刈っている場面は同じ行為でも片方は有益な行いであり、もう片方は無益な行いであることを示しているそうです。
Berlin71この美術館で特に惹かれたのは、クラナッハの「ルクレツィア」。漆黒の闇を背景に全裸の女性が薄物の布を持っているクラナッハお得意の絵です。

ルクレツィアはローマ教皇アレクサンデル6世の娘で、兄はマキァヴェッリの「君主論」で高く評価されているチェーザレ・ボルジアです。

ルクレツィアは、夫が戦場へ出た留守中に王の息子に陵辱されます。貞淑で有名だったルクレツィアは自身の名誉を守るため、自刃して果てる、という悲劇が「ルクレツィアの陵辱」というテーマで多くの画家に描かれています。

当時の王の治世は圧政に近く、ローマ市民の中に不満がたまっており、この事件がきっかけとなってローマで反乱が起こり、王が追放されローマ帝国が崩壊し、共和国国家となったそうです。

この絵はまさに短剣を胸に刺し自ら命を絶とうとしている場面ですが、毅然としたルクレツィアの表情が印象的でした。とても小さい絵ですが、独特の強い印象がありました。
Tizianoティツィアーノの「ルクレツィアの凌辱」(フィッツウィリアム美術館蔵
Lucretiaレンブラントの「ルクレツィア」(ミネアポリス美術館
蔵)は、自刃した直後の絵です。
Berlin73フェルメールの絵画。描かれている瞬間の静謐さがそのまま伝わってくるかのようで、立ち止まると時のたつのも忘れてしまいます。
Berlin74「真珠の首飾りの女」。画集などで見ると何だかぼんやりとしていて、あまり興味が持てなかった絵だったのですが、実物はその洗練された美しさに心が打たれました(以前ドレスデン国立美術館展で見た「窓辺で手紙を読む女」を思い出しました。実物は画集で見るよりずっと美しい絵でした)。

白い壁に柔らかく反射する光、テーブルの下部に落ちる影、椅子の鋲の輝き、黒い陶器の光、女性のイヤリングと真珠の首飾りの輝きとのコントラストが実に印象的でした。影響を受けたと言われるカラヴァッジョの明暗対比を感じました。
Berlin75ときめきを見せながら鏡に見入る女性の横顔に惹かれます。女性の毛皮付きの黄色い絹の上着(絹だそうです)の繊細な輝き、質感も素晴らしいです。
Berlin77「紳士とワインを飲む女」。横長のキャンバスに室内画を書くのは稀なことだったようですが、全体の色合いやバランスが絶妙です。

あまり作品に意味を持たせなかったフェルメールですが、この絵は寓意のある絵だそうです。

窓ガラスの模様に描かれているのは「節制」を表し、何気なく置かれている楽器(リュート)は、愛の象徴、恋の媚薬を象徴するワインを飲む女性を戒めているとも言われています。
Berlin78ワインを飲む女性に向けられた男性の眼差しを見ると二人は親密な間柄の様な気がしますし、男性がピッチャーに手をかけて女性がワインを飲み干したら注ごうとしている様ですが、絵全体に上品さを保っているのはフェルメールならではの気がします。
また部屋全体には光が入っていないのですが、グラスに反射する光や、椅子の装飾に光が描き込まれているのには驚きました。

フェルメールの絵は、深く絵の中に入り込んでこそ、その魅力がわかるものだと再認識しました。
Berlin79_2ロココ美術(18世紀ヨーロッパの美術形式で、貴族社会から生まれた軽快、典雅、優美さを特徴としている)の中で際立った才能を発揮した「雅宴の画家」と呼ばれているジャン・アントワーヌ・ヴァトー の「イタリア演劇より愛の情景」。

ヴァトーは、わずか36才という生涯の中、感受性豊かで、繊細、華麗、メランコリックな夢のように美しい絵画を多数遺したフランスの画家です。

ヴァトーの筆にかかると、喜劇役者たちも気品があり幻想的で叙情的になります。
Berlin80真ん中のギターを持つ人。見たことありませんか?ルーブル美術館の「ジル」と同じ人物だそうです。
Watteau「ジル」(当時大人気だったイタリア喜劇の道化師だったそうです)。同時代に他の画家達もジルを描いているそうですが、ヴァトーの描いたジルはメランコリックな表情、服の質感、色彩、全体を漂う気品、優雅さが抜きん出ており、ロココ期の最高峰とも言われる絵です。
Berlin81 バロック絵画の先駆者カラヴァッジョの最高傑作の1つ「勝ち誇るアモール」。

この絵は以前アムステルダムで開催された「レンブラントとカラヴァッジョ展」で展示されていたので、無事(ヨーロッパでは貸し出しが多いので)再会出来ました。何度見ても飽きない、新たな感動がある絵です。

徹底した写実と強い明暗対比による劇的な人物描写などのカラヴァッジョ独自の極めて高度な表現手法は、レンブラント・ベラスケス・ルーベンス等、後世の画家に大きな影響を与えました。

これは愛の神アモールが、愛が地上のあらゆる価値に優先することを示している絵です。
アモールと共に描かれている甲冑・鞍は<武器>を、バイオリン・リュート・楽譜は<音楽>を、定規・コンパスは<幾何学>を、月桂冠は<名声>を、王冠や杖は<支配>をそれぞれ表しています。これらはカラヴァッジョにこの絵を注文した貴族の学識や音楽趣味を示唆しているものだそうです。

アモールや静物の質感、何度でも観たい素晴らしい絵です。頬を高潮させ、勝ち誇っている天真爛漫さに理屈抜きで見入ってしまいます。

ベルリンにはかつて5枚のカラヴァッジョ作品があったそうですが、第二次大戦の戦火で失われた400枚以上の絵画の中に、カラヴァッジョ作品3点(「娼婦フィリス」「聖マタイと天使」「オリーヴ園のキリスト」)も含まれており、 現在ベルリンに残っているのはこの「勝ち誇るアモール」とサン・スーシ絵画館の「聖トマスの懐疑」の2枚のみとなってしまったそうです。
Michelangeloアモールの足を上げたポーズは、ミケランジェロの彫刻「勝利者」(フィレンツェのヴェッキオ宮所蔵)を踏襲していると言われています。

これらの作品の他にも素晴らしいフランドル絵画、ベラスケス、ムリーリョ、ボッティチェリ、レンブラント、ラファエロなどが所蔵されており、見ごたえは十分です。

機会があれば、また「勝ち誇るアモール」を観に訪れたいです。

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2007-12-21

ヨーロッパ絵画の宝庫!ミュンヘンのアルテ・ピナコテーク

Munchen138_3レンバッハ美術館から歩いて10分ほどの場所にある19世紀前半に建設されたヴェネツィアのルネッサンス建築を思わせるアルテ・ピナコテーク(古い絵画館という意味)」
15~18世紀の700点以上のヨーロッパの名画が展示されている世界有数の美術館です。これらの絵画は16世紀前半からヴィッテルスバッハ家により、数百年にわたって収集されたものだそうです。アルテ・ピナコテーク「あらゆる芸術作品は、万人の目に触れなければならない」と言ったルートヴィヒ1世により、1836年に創立されました。
国別、年代別になっており、鑑賞しやすいように展示されていました(※画像をクリックすると大きくなります)Munchen84
ずは評判のカフェでランチ。
天井が高く、テーブル間も離れており、また係りの人の目配りが素晴らしく空いたお皿をどんどん下げてくれるので、
ゆったりと過ごせます。
Munchen85キッシュも軽くて美味しかったですし、
Munchen86アップルパイも甘さが控えめで、日本人の口に合う美味しさでした。
Munchen83吹き抜けの明るいエントランスホールを抜けると、階段は左右に別れ、どちらの展示室から見てもよいようになっています。上るのがちょっと大変でしたがちょっと幻想的な雰囲気でした。
Munchen90ドイツ美術史上、最大の芸術家とされるデューラーの「自画像」。真正面を向き自分自身をキリストに見立てたデューラー28歳の時の作品です。彼は自分の容姿・才能に自信と誇りを持っていたと言われています。他に彼の晩年の最高傑作と呼ばれている「四人の使徒」を始めとするデューラーの傑作が数多く展示されていました。
Munchen106ルーベンスの作品が多く展示されている部屋の中で、一番大きな代表作「最後の審判」(大)。縦が6mあるそうです。この美術館の部屋の高さは、この絵を展示できるような基準で設計されたそうです。そのため非常に天井が高く、広々とした空間なのですが、その空間に負けない重量感がルーベンスの絵にはありますね。アングルがルーベンスの絵を「どこか肉屋を思わせる」と言っていたと何かで読んだことがありますが、まさにそんな印象でした。
ルーベンスの絵は大小かかわらず沢山展示されていますので、ルーベンスファンにはたまらないと思います。
Munchen139デン・ハーグの有力者フレデリク・ヘンデリク総督の注文によって制作されたレンブラントの連作“キリストの受難”の中で、「十字架降下」と共に最初に手がけられた作品のひとつの「キリスト昇架」。光があたっているキリストの身体を乗せた十字架が斜めになっている珍しい構図です。
周囲の人々は闇に隠れてほとんど表情がわからないのに、唯一光があたっているベレー帽をかぶった男性はレンブラントの自画像と言われています。
受難者イエスが(画家自身を含め)全ての人間の罪を背負うという規範的な信仰を表していると解釈されているそうです。
Munchen140レンブラント「十字架降下」「キリストの埋葬」「キリストの復活」「キリストの昇天」も並べて展示されていました。レンブラントの華麗な明暗法を堪能しました。
Munchen107レンブラントの「イサクの犠牲」
多くの画家達の主題となっている旧約聖書の場面「イサクの犠牲」。イスラエルの民の祖アブラハムは、非常に高齡でイサクという待望の息子に恵まれました。神はそのイサクを神に捧げよと、アブラハムの信仰心を試すために言います。迷い苦しんだ末にアブラハムは息子イサクを山上へ連れて、神のいうとおりに息子に刃を向けますがその時、天使が現れて、アブラハムを止め、傍らに出現した牡羊をいけにえにしたという話です。
アブラハム、イサク、天使と各登場人物に光を当てて陰影を描き、この一瞬の場面をドラマティックに描いています。
Munchen108天使の制止に思わず 振り返るアブラハム。なんともいえない悲しく、複雑な表情です。
Munchen91アルテ・ピナコテークのイタリア絵画は、その膨大な作品の数もさることながら、質が高いです。特に14世紀~15世紀イタリアの絵画は名画揃いでした。ダヴィンチ21歳の時の「カーネーションの聖母子」(マリアが手に持っているカーネーションはキリスト受難のときマリアの流した涙のところから生えてきたと言われています)
がさり気なく展示されていました。ダヴィンチは作品数が少ないので、美術館で出会うと得した気分になります。他にも名作が目白押しなためこの作品に気づかない人が多かったのか、あまり観ている人はいなかったので、じっくりと堪能できました。
Munchen99ラファエロ「カンジャーニの聖家族」
Munchen100清く、美しく、慈愛溢れる聖母マリアは、ラファエロの独壇場ですね。細部まで明瞭・丁寧に描かれています。ラファエロの聖母マリアの絵は、29点あるそうです。ラファエロが8歳の時、母親が病死しているため母への憧れが、彼の聖母マリアの魅力の原点だと言われています。
アルテ・ピナコテークにはこの絵以外にもあと2点ありました。
Munchen101ちょっといたずらっ子っぽい幼子キリストの何とも言えない愛らしさ!
Munchen102フラ・フィリッポ・リッピの「受胎告知」。フラ・フィリッポ・リッピは、フラ・アンジェリコとともに、15世紀前半のフィレンツェ派を代表する修道士であり、画家です。同時代人のフラ・アンジェリコが敬虔な修道士であったのとは対照的に、リッピは修道女と駆け落ちし、結婚するなど奔放な生活を送ったことで知られています。この絵はフィレンツェのスオーレ・ムラーテ修道院から19世紀初頭に王室が購入したものだそうです。落ち着いた清楚な印象がありながら、彼の円熟期の作品らしく、遠近法を用いており、とても装飾的です。
Munchen103白い建物を基調とした清楚な背景に聖母マリアの青の衣装と、天使の赤の衣装、そして天使の金色に輝く羽、天使と聖母マリアの官能的かつ理知的な表情が印象的です。モデルはやはり奥さんのルクレツィアなのでしょうか。
Munchen105細かい衣装のひだ、床の色、建物の装飾など細部がとても美しかったです。画集で見るよりずっと明るく、透明感のある美しい絵でした。
Munchen111部屋に入ったとたん目が奪われる、ブーシェの有名でおそらく一番人気のある「ポンパドゥール夫人の肖像画」。書物を手にして、ゆったりとした姿勢で椅子にもたれかかる本を片手にゆったりとくつろぐポンパドゥール夫人。ブーシェは18世紀に活躍したロココ美術を代表するルノアールにも影響を与えた画家です。肖像画としてはとても大きなもの(201×157cm)なので、この絵の中のこの上なく華麗で、豪華で、生き生きとしたポンパドゥール夫人の美しさに更に圧倒されます。
ブーシェは、ポンパドゥール夫人のお気に入りの画家でした。ブーシェは35歳の時の輝くばかりに美しい侯爵夫人を自らの持つ技量のすべてを、この絵に投入したのでしょう。
Munchen112確固たる強い意志を感じさせる大きな瞳と端整な顔、薔薇で飾られた髪、真珠の腕輪が控えめに輝く左手の彼女の知性を象徴するかのような一冊の書物。薔薇が散りばめられたロココ調のドレス、そしてその薔薇より美しい活発そうなポンパドゥール夫人。
彼女の癒されるような美しさにうっとりしてしまいます。
Munchen147足元の愛犬ミミ、素敵な靴、薔薇の花、楽譜...細部まで楽しめる絵です。
この絵から溢れ出る幸福感に浸るため、部屋を出る前に何度も戻って見てしまいました。
Munchen113ムリーリョ(バロック期のスペインの画家で17世紀中期~後期にかけて活躍したセビーリャ派の巨匠。19世紀末期にベラスケスが再評価されるまで国内外でスペイン最大の画家として名を馳せていました)の作品は5点あって、ムリーリョの風俗画の優れたコレクションになっています。
ムリーリョの絵は、カラヴァッジョのような明暗対比による劇的な表現手法を用いていてますが、紗がかかったような柔らかく、甘美で、繊細な輝きがあるところが好きです。
特に気に入ったのがこの「小さな果物行商人」。この絵の隣にムリーリョの風俗画中もっともすぐれた作品のひとつと言われている「さいころ遊びをする少年達」があります。
Munchen114柔らかく繊細な輝きがある女の子のほっと出来るような暖かくあどけない横顔。久しぶりにムリーリョの素晴らしい絵を沢山見たので、またプラド美術館のムリーリョの作品を見に行きたくなりました。
とにかく質・量とも素晴らしい美術館です。メムリンク、スルバラン、クラナッハ、ベラスケス、エル・グレコ、ボッティチェルリ、ブリューゲル、ティントレット、ティツィアーノ.....是非アルテ・ピナコテークの所蔵作品のページをご覧になってみてください
通りをはさんで向かいにある、19世紀以降の絵画が見られる「ノイエ・ピナコテーク」(ノイエ・ピナコテークの所蔵作品のページは、アルテ・ピナコテークの鑑賞にたっぷりと時間を費やしたので、今回は行きませんでした。こちらは次回訪問する際のお楽しみ(現代アートが見られる「ピナコテーク・デア・モデルネ」も!)にしたいと思います。

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2007-12-16

カンディンスキーファン必見!ミュンヘンのレンバッハ美術館

Munchen50 ミュンヘン訪問時には絶対に外せないと思っていた目的地の1つである、レンバッハ美術館に行きました。レンバッハ侯爵はドイツ随一の肖像画家として名をはせた画家、美術収集家でした。レンバッハ美術館は、彼の邸宅兼アトリエを改装したイタリア・ルネッサンス様式の美術館です。この美術館を有名にしているのは、彼の作品ではなくカンディンスキーをはじめとする「青騎士」グループの画家たちの作品です。

ワシリー・カンディンスキー
は20世紀を代表する画家のひとりです。その強烈な色彩とファンタジーに富んだ形の世界は抽象芸術のさきがけとなり、抽象絵画を目指す画家たちのインスピレーションの源泉となってきました。

カンディンスキーはモスクワで経済学と法律を学んでいたのですが、1896年、モスクワで開催された印象派の絵画展でモネの作品「積み藁」と出会い衝撃を受け、教授職を辞退し、ミュンヘンで30歳から絵を学び始めました。ミュンヘンに移った理由には、同時期にワーグナーの歌劇「ローエングリン」を体験し(その音楽に彼は“色”を見たそうです)、強くその影響を受けたこともあるそうです。彼は後にシェーンベルクの音楽にも傾倒します。30歳にしてミュンヘンの美術学校に入ったためクラスの中では年齢が高く、また経験もあったため、自分の作品について深く考えながら、芸術の真の理論家になるべく絵の勉強を始めたそうです。

Munchen72カンディンスキのコレクションは質・量ともすばらしく、初期から年代ごとに変わっていくカンディンスキーの画風がよくわかるように展示されていました。

カンディンスキーは抽象絵画を産み出し、20世紀初頭に絵画芸術の革命を起こしました。しかし、この絵画革命はカンディンスキー一人で産みだしたものではなく、ガブリエーレ・ミュンター(ドイツ表現主義絵画で重要な役割を果たしたとされる女流画家)との共同生活により産み出されたものと言われています。

1877年ベルリンに生まれたガブリエーレ・ミュンターは、当時女性はミュンヘンの芸術アカデミーへ入学が認められていなかったため、私立の美術学校を卒業し、アメリカで数年過ごした後、絵画の勉強を続けるため1901年ミュンヘンに来ます。カンディンスキーとミュンターが出会ったのは、1901年の暮れにミュンヘンにカンディンスキーが開設した小さな美術学校「ファーランクス」の教室でした。

女性には芸術への道がほとんど閉ざされていた時代に、男女のへだてなく丁寧に学生を指導するカンディンスキーの姿勢は、ミュンターの心を打ち、やがて二人は親しくなります。カンディンスキーは教え子との愛を妻(カンディンスキーは既に結婚していました)に打ち明けますが、ロシア正教会の掟では彼の離婚は許されなかったため、1904年の夏、彼は妻のもとを離れ、世間の目を逃れるかのように、ミュンターとともに長い旅に出ます。オランダからチュニジア、イタリア、さらにパリ近郊のセーヴルへと、転々とする日々は足かけ5年におよび、1908年にミュンヘンに戻ります。この間も二人は絵の制作を続け、ベルリンやパリの大きな展覧会にも出品します。

二人の芸術に大きな転機をもたらしたのは、ミュンヘン郊外のムルナウという小さな町です。ミュンヘンに戻ってきてから写生する場所を探すうちに偶然この町を見つけたそうです。湖と湿原に近く、澄み渡った空の向こうにアルプスの山並を望むこの土地に、二人は魅了され、夏の後半をここで過ごし、街路や田園風景のスケッチに励みます。彼らの絵には鮮やかな色彩、自然の光景を目にしたときの内面の感覚が生き生きと現れるようになりました。

Munchen51カンディンスキー「The River Isar(Munich)」(1901)
ゴッホのような後期印象派(見たままの自然を描くそれまでの印象派の作家達の作品とは違い、自分の見え方にウエイトを置き、色や構図を構成)の伝統を継承し、屋外でパレットナイフを使った最初の絵だそうです。
(※画像はクリックすると大きくなります)
Munchen53カンディンスキーが描いたミュンター(1902)
Munchen54_2カンディンスキーが描いたミュンター(1903)。二人が恋人同士、芸術での同志となった年に描かれたもの。

Munchen55カンディンスキーの「Riding Couple」(1906-07)。これはミュンターとの旅行中に描いたもの。ロシアの民族衣装を身に着けたカップルが、背景にあるクレムリン宮殿の前を騎馬で通っています。暗鬱な極彩色と呼びたくなるようなロシア的な多彩な色使いがとても綺麗(特に向こう岸のロシアの町がきらきら輝いていました)でしたし、詩的でおとぎ話のような雰囲気で素敵です。カンディンスキーのロシアへの郷愁が感じられました。

Munchen71「Before the City」(1908)
1906年に、カンディンスキーはマティスの初期の作品に出会っています。激しく大胆なタッチ、鮮烈な色彩といい、明らかにフォービズムに影響を受けていますね。
Munchen70「Murnau-Study for Landscape with Tower」(1908)
強烈な色使い。この時代のムルナウは、どんな感じだったのか興味があります。
コントラストの強い色彩配置が特徴で、ロシアのフォークロアを思い出させるものがあります。30歳から絵を始めたとは思えない、若々しいピュアな印象を受ける色彩でした。

Munchen57ミュンターとカンディンスキーが同じ場所から描いている絵がありました。こちらはミュンターが描いた「グリースブロイからの眺め(View of the Griesbrau)」(1908)。グリースブロイとはムルナウにあった宿のことだそうです。ムルナウの民族工芸のガラス絵の単純な輪郭線の中の鮮やかな色彩から、ミュンターは大胆な色使いを学び、画風を変えていったそうです。

当初彼女の画風は当然ながら師であるカンディンスキーの影響を受けていたのですが、次第に独自の画風を発展させてドイツ表現主義芸術の先駆者の一人となるとともに、逆にカンディンスキーがミュンターの影響を受け始めます。

Munchen58 こちらはカンディンスキーの「グリースブロイからの眺め(View of the Griesbrau)」(1908)。
Munchen66美術館ではこの2枚を並べて展示していました。
Munchen1351909年から1914年にかけて描かれたカンディンスキーのガラス絵
カンディンスキーは、ムルナウの教会にあったガラス絵を見てロシアのイコン(聖画像)を思いだし、1909年から集中的に宗教的主題を具象的にガラス絵で表現しています。
Munchen56その中の「Cavalier with Trumpet」(1912)
ちょっとシャガールを彷彿させる構図です。
Munchen67真ん中のふたつがミュンターの作品で、左がマルク、右がカンディンスキーの作品です。
Munchen64カンディンスキーの「Nature Study From Murnau」(1909)
目に見えるものの再現をやめ、鮮烈な色彩と抽象化された形を組み合わせて人間の心の中を表現しようとしたそうです。
Munchen61カンディンスキーの 「ムルナウの鉄道(Railroad at Murnau)」(1909)。カンディンスキーは、毎日ミュンヘン⇔ムルナウ間の蒸気機関車の眺めをしっかりと描き留めていたそうです。コミカルなおもちゃの電車のようです。左下に白いハンカチを振っている女性がいます。
Munchen62カンディンスキーの「コッヘルの墓地と牧師館(Kochel-Graveyard and Rectory)」(1909)
カンディンスキーが、ミュンターに刺激され自由で鮮烈に描きはじめるようになるのは、この頃からだそうです。
1909年からは 「色のコーラス」 ということを言い始めるそうですが、それはゲーテの「色彩論」 に影響を受けたものだと言われています。

「色彩と自分は一体であり、色彩こそが全てである。」とミュンターは言い、カンディンスキーはミュンターの考え方に影響を受けて徐々に画風を変えていったそうです。
構図や色彩の組み合わせ方にカンディンスキー独特の叙情性が感じられます。

Munchen132カンディンスキーの「Interior-My Dining Room」(1909)。カンディンスキーは、「音楽家はメロディーで、画家は色彩で」と言っていたそうです。色彩がマティスに似ている感じがします。抽象画に傾注していくまでのカンディンスキーの試行錯誤がこの美術館の展示でよくわかります。

Munchen73マトリョーシカのようなロシア民芸の色彩のカンディンスキーの「最後の晩餐(Last Supper)」(1912)
Munchen79ミュンターの「Winter Landscape」(1909)。ミュンターの絵は初めてじっくり観賞したのですが、今回すっかり彼女の絵のファンになりました。
Munchen74ミュンターの「Village Street in Winter」(1911)
オブジェの形から音楽的リズムを、色からハーモニーを奏でさせる表現法だそうです。絵全体から暖かい詩と音楽が感じられる気がします。
Munchen77ミュンターの「Kandinsky and Erma Bossi, after Dinner」(1912)。
ミュンターの描いたカンディンスキー。とても可愛らしく描かれていて、ミュンターのカンディンスキーへの愛情が伝わってくる微笑ましい絵でした。
Munchen75ミュンターの「Still Life with Easter Eggs」(1914)
ミュンターは「色彩と自分は一体であり、色彩こそがすべて」と言っていたそうです。ミュンターは、カンディンスキーの絵画の進展を理解しますが、彼女は抽象画には進まず、身近な静物や風景、バイエルン地方固有のガラス絵から主題を取った絵画の世界にとどまります。
Munchen78ミュンターの「The Russians House」(1931)。この家はムルナウの人から「ロシア人の家」と呼ばれていました。現在はミュンターハウスとして一般公開されているそうです。
のどかな風景に囲まれ、花が咲き乱れた庭付きの一軒家で、家中明るい色彩で塗られたとても楽しい家だそうです。

後世の画家に与えた影響は、ミュンターはカンディンスキーに比して大きくなかったかもしれませんが、カンディンスキーの哲学的思考と絵画的理論に基づいた絵を見た後に、ミュンターの感性が率直に表現された絵を見ると、何だかほっとします。

Munchen133カンディンスキーの「Murnau with Church I」(1910)。深みのある鮮やかなロシア民族調色彩が綺麗です。ムルナウとその周辺の風景を描きながら、純粋な色彩によって現実のかなたの精神的な世界への憧れを表現した作品であり、彼の抽象絵画が誕生した背景をここにうかがうことができます。
Munchen80フランツ・マルクの「Blue Horse I」(1911)。1911年にカンディンスキーとマルクが中心になって「青騎士」という芸術家グループを結成します。「青」はロマンティシズム、郷愁、天空の色をあらわし、「騎士」は芸術のために先頭に立って闘うという志をあらわしているそうです。

カンディンスキーはまた「私たちは二人とも青が好きで、そしてマルクは馬が、私は騎士が好きだった」と名前について語っています。

また1911年にカンディンスキーは現代音楽の創始者と呼ばれているシェーンベルグの音楽と運命的な出会いをします。彼の音楽は、西洋の伝統から解き放たれた無調音楽で、絵画音楽における不協和音を探していたカンディンスキーにとってとても衝撃的でした。これをきっかけにカンディンスキーの作風はより抽象的なものになっていきます。

Munchen134「Improvisation 21a」(1911)。
カンディンスキーの抽象画のシリーズである「インプロヴィゼーション(即興)」の一枚。
対象物から受けるムードや感覚をそのまま画面に表現しています。

即興といいながら素描が残っている所から、カンディンスキーの妥協を許さない姿勢が感じられます。
「インプロヴィゼーション」や「コンポジション」(インプロヴィゼーション後の抽象画のシリーズ)を描くとき、彼は何枚もの下絵を試みて構想を練りに練って仕上げたそうです。しかし一旦構想が決まると仕事は早く、大作でも3日で描き上げたそうです。

絵画は、形あるものを指示し、あるいは説明するという作用にとどまり、人の想像力を解放する力には劣っているのではないか、とカンディンスキーは考え、絵画に人の想像力に訴える要素を模索しました。

Improvisation_gorge1914年に第一次世界大戦が勃発し、「青騎士」の仲間であったマルクやマッケは戦死し、カンディンスキーはドイツを追われます。これは戦争前夜に描いたカンディンスキーの作品「即興 渓谷(Improvisation Gorge)」(1914)。

手前にはバイエルン地方の民族衣装を着た男女が踊っていて、その下にカヌー(オールが宙に飛んでいます)。水面にはさざなみ、山々、滝、線路、左にはロシアとムルナウの中間のような教会...。この絵は別名「別れ」と呼ばれていて、ミュンターと過ごした渓谷の思い出が描かれているそうです。

カンディンスキーはドイツを去るときムルナオとミュンヘンで制作した作品の全てをミュンターに残していきます。ミュンターは作品を奪い取ろうとするナチスドイツや第二次世界大戦の戦火から作品をムルナオの家の地下室に隠して守りました。

ミュンターは再会を願って中立国スウェーデンに移り、1915年の暮れにストックホルムでカンディンスキーと再会しますが、二人が会うのはこれが最後となりました。カンディンスキーがロシアに戻った後も、なおミュンターは北欧で待ち続けましたが、カンディンスキーは1917年の初め、モスクワでロシア人の女性と再婚していました。戦後の1920年、ミュンターは失意のうちにミュンヘンに帰ります。その翌年カンディンスキーも新しい妻を連れてドイツに戻りますが、二度とミュンターに会うことはなかったそうです。

カンディンスキーの帰りをひたすら待ち続けるミュンターの姿を想像すると胸が痛みます。それでもミュンターはカンディンスキーや「青騎士」の作品を大事に持ち続け、1957年にミュンターはカンディンスキーと「青騎士」の膨大な絵画コレクションを作品をレンバッハ美術館に寄贈します。彼女はこれらの作品が二人の愛の記念であると同時に、近代美術の歴史における貴重な存在であることをわかっていたのでしょう。

Munchen76ミュンターは1915年から1929年までの北欧の滞在中、マティスの生徒だったスウェーデンの前衛アーティストから大きな刺激をうけます。ミュンターの絵はどれも好きだったのですが、特に印象に残った絵はこの「Pensive Woman」(1917)。何かを待っているような、将来への希望を持っているような、昔を懐かしんでいるような、色々な感情が伝わってきて惹かれる絵でした。

Munchen82カンディンスキーの絵画については、彼の初期の作風である鮮やかな色彩感覚が残っている抽象画の初期のものが一番好きだったのですが、今回観賞した初期のカンディンスキーの作品には、とても惹かれました。

またミュンターというパートナーからカンディンスキーが影響を受けていくのを作品を通じて感じることができ、具象絵画でも抽象絵画でも色彩は人を惹きつける重要な要素だと改めて思いました。
ミュンターという新しいお気に入りの画家が出来て嬉しいです。
ミュンターハウスにもいつか訪れたいと思います。

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2007-11-18

フラ・アンジェリコの美術館!サンマルコ美術館

Firenze07_5この秋フィレンツェに行きました。
(アルノ川の南岸にある、ミケランジェロ広場の丘からのフィレンツェの眺望。)
赤茶色の屋根の連なる町並みが印象的です。)Firenze03サンタ・トリニタ橋から眺めたアルノ川にかかるフィレンツェの最古の美しい橋、ヴェッキオ橋。通路の両側にある宝石店を訪れる観光客で溢れています。


Firenze28ウッフィツィ美術館からのヴェッキオ橋。
Firenze05ヴェッキオ橋のお店。






Firenze11スピーニ・フェローニ宮殿がまるごとフェラガモ本店になっています。
2Fはフェラガモ博物館になっていて、サルヴァトーレ・フェラガモ氏の全作品を見学することができるそうです。

Firenze08サンタマリア・デル・フィオーレ(ドゥオーモ)。
フィレンツェのシンボル。ピンク、モスグリーンの色大理石を多用したイタリア・ゴシック建築。町歩きの目印になります。

Firenze17_2 ドゥオーモに寄り添う様に建つジョットの鐘楼。
Firenze09ミケランジェロが「天国の門」と呼んだ洗礼堂の東側の門。これはレプリカで、オリジナルはドゥオーモ付属美術館にあるそうです。






Firenze10旧約聖書の物語が浮き彫りされています。







今回のハイライト!ドゥオーモから歩いて15分ほどのところにあるサンマルコ美術館へ向います。メディチ家初代のコジモの援助により建立されたドメニコ会の修道院が現在美術館になっています。

Firenze27館内に入ると、最初に通るのが修道院の院長を務め後にフィレンツェ大司教となった聖人、聖アントニーノの中庭。

Firenze262階の小さな窓は、修道士達の僧房の窓。










Firenze191階にあるフラ・アンジェリコの「キリストの磔刑と聖人達」。背景部分は青色だったそうですが、保存状態が悪く顔料が剥げて下地の灰色と赤色が更に非現実的な雰囲気を醸し出しています。
フラ・アンジェリコはキリストの磔刑図を描くときにはいつも頬を涙でぬらしながら描いていたそうです。

フラ・アンジェリコはドメニコ会の修道士であり、15世紀前半のフィレンツェを代表する画家です。生き生きとした人物表現や遠近法の採用など、ルネッサンス絵画の特徴があります。またその作品は清らかで深い精神性に満ちています。
この美術館では、彼の清らかで澄明な作品を堪能することが出来ます。

フラ・アンジェリコは絵を描くことは神から与えられた使命と信じ、一生神の愛を形に表し続けました。フィレンツェ大司教の座に推薦されたにもかかわらず、神から与えられた画僧として仕事を続けるために辞退した、また絵筆をとる前には必ず長い祈りを捧げたというエピソードもあるそうです。フラ・アンジェリコ(天使のような修道士)というのは通称で、彼の死後そう呼ばれるようになったそうです。

Firenze20修道院の階段を、一階から二階に登って行きます。階段の踊り場で歩く向きを変えた時....

Firenze22その絵は目の前の階段の上に現れました。
窓から柔らかな日が差し込んで、フラ・アンジェリコの「受胎告知」は光り輝いていました。静謐で温かいきらめき...想像していたより大きな作品でした。




Firenze23いかにも修道士が描いたものらしい静穏な画調で、大天使ガブリエルの衣服など中間色の美しさが印象的です。
(画像をクリックすると大きくなります)

「受胎告知」(大天使ガブリエルがマリアにイエスをみごもることを告げにくるシーン)は多くの画家によって描かれていますが、フラ・アンジェリコのこの「受胎告知」ほど神の愛を伝えようとする篤い信仰、神の愛に対する敬虔なひたむきさを感じられるものはないと思います。

簡潔な画面構成の中に、二人が交わす眼差しの優しさと、押さえられた動きの美しさ。特に体の全面で交差された手は新しい時代の始まりを告げるというガブリエルの使命感とイエスの授かりを、敬虔で控えめな態度で真摯に受ける聖母マリアの清らかな母性を見事に表現していると思います。

なんともいえないほの明るいやさしい色調、温かみのある清廉さ、柔らかな線、優しく、甘美な叙情性...心が和みます。

Pradoプラド美術館にもフラ・アンジェリコの「受胎告知」がありますが、それが鮮やかな色を使って喜びを表しているのに比べ、
Firenze23_2サンマルコ美術館の「受胎告知」は、静かで温かい味わいがあり、より人間的で、優雅な印象です。

Firenze25 「受胎告知」の絵の左側の廊下。2階は昔の修道院の僧房そのままで、小さな部屋に分かれています。それぞれの部屋の壁にに一つずつフラ・アンジェリコによってキリストの生涯をテーマにしたフレスコ画が描かれています。当時の修道僧達はこの小さい僧坊の中でこの絵を見ながら祈りと瞑想を捧げる捧げる日々を送ったそうです。

右側の廊下は、構想と下絵製作はフラ・アンジェリコがしたそうですが、大部分のフレスコ画製作は協力者達に任せたそうです。フレスコ画の出来は様々だった気がしましたが、すべてのフレスコ画から熱烈な信仰心を感じられました。淡い色の壁に淡いフレスコ画と小さな窓があるだけの部屋なのに、なぜか穏やかで温かい空気を感じました。それぞれテーマが異なり、画風も微妙に違うので見ていて飽きませんでした。

Firenze24これは僧房の一つに描かれた「我に触れるな」。 蘇った自分に触れようとしたマグダラのマリアを制してキリストが言った言葉です。

これはフラ・アンジェリコの新しい芸術様式(登場人物だけでなく、風景までも主役となっている画面構成、現実のものと非現実のものを同時に表現するための光の使い方、空間のとりかたが極めて正確であることなどの以前の絵画になかった斬新さ)が見事に結実した代表的なフレスコ画だと言われています。

この絵の中では、マグダラのマリアもキリストの表情も柔和で穏やかで、この奇跡が余りにも自然に行われたことなのだと見る者を納得させます。マリアはキリストにすがりつこうとせず、控え目に手を伸ばしています。フラ・アンジェリコは奇跡が決して大げさな稲妻を伴って起きたものではなく、穏やかな陽の光の中で、さりげなく行われたことを知っていたのかもしれません。

フラ・アンジェリコがいたこの静かで清廉で敬虔な空気が流れている修道院の僧房一つ一つをフラ・アンジェリコが描いたフレスコ画を覗きながら回廊を歩くのはとても贅沢な時間でした。

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