ヨーロッパのお城・宮殿

2009-09-06

北イタリア湖水地方のマッジョーレ湖の真珠、イゾラ・ベッラのボッロメオ宮殿へ

Ete94翌朝、ホテルの庭での開放感溢れる朝食を済ませ、
Ete96イゾラ・ベッラに向かいます。
Ete97湖水地方は、日本ではコモ湖が観光地として有名ですが、このマッジョーレ湖もとても大きな湖です。

湖の中にボッロメオ諸島と言う美しい小島が点在しており、遊覧船で周遊することが出来ます。
Ete101船の上から見たストレーザの街。
Ete105 遊覧船から見えるイゾラ・ベッラ
ボッロメオ諸島(「イゾラ・ベッラ」(美しい島)、「イゾラ・マードレ」(母なる島)、「イゾラ・ペスカトーレ」(漁師の島)、他の5つの島からなる)で一番大きく、最も美しい島がイゾラ・ベッラです。

1620年、兄からこの島の管理を任されたミラノを代表する名家ボッロメオ家カルロ3世ボッロメオは、妻の名前(イザベラ)にちなみ、イゾラ・ベッラと名づけたそうです。もともと漁師しか住んでいなかった荒れた島に宮殿と庭園を造りました。ちなみにジャン・コクトーは代表的な3つの島をイゾラ3姉妹と呼んでいます。
Ete108島に近づくと全体が宮殿と階段庭園で覆い尽くされているのが見えてきます。

バロック庭園はカルロ3世ボッロメオが妻への贈り物として造らせたそうです。

建築家アンジェロ・クリヴェッリは、島全体を理想郷ともいうべき庭園に作り上げました。
Ete110イゾラ・ペスカトーレ(漁師の島)も見えます。なんとも美味しそうな島の名前ですが、その名の通り漁師さんの島で、魚介類の美味しいレストランが沢山あるそうです。
Ete113イゾラ・ベッラに到着。
Ete114かつてマッジョーレ湖を領有していたボッロメオ家のバロック趣味の17世紀のボッロメオ宮殿を見学します。
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Ete116宮殿の内部は、スタッコ装飾、フレスコ画、タベストリー、絵画、上品な調度品などで優雅に飾られています。
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Ete123宮殿内の贅を尽くした装飾が、ボッロメオ家の繁栄ぶりをうかがわせます。
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Ete127湖に向かっていくつもの窓が開かれています。
Ete134騙し絵風の窓が楽しいです。
Ete135一角獣は、ボッロメオ家の紋章です。これは、ヴィスコンティ家から分かれてできた家柄である事を示しているそうです。
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Ete143宮殿から見えるテラスとイゾラ・ペスカトーレ
Ete145ナポレオンが宿泊した部屋。シャンデリアはムラノグラスだそうです。
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Ete147ここにも、
Ete148ボッロメオ家の紋章の一角獣。
Ete144ナポレオンはこの部屋からどんな気持ちでこの湖を眺めていたのでしょう。
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Ete173地下に降りると、
Ete176凝灰岩や貝殻で飾られた奇怪なグロッタ(洞窟)風の部屋がある地下の宮殿。上階の部屋との雰囲気のギャップが面白いです。
Ete177海藻。
Ete180深海に迷い込んだような不思議な空間。
Ete185夏の暑さをしのぐため海底の世界をイメージして作られたのでしょうか?
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Ete197グロッタ風の部屋からも湖が眺められます。
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Ete201 再び上階に上がります。
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Ete213フランドルのユニコーン(一角獣)のタペストリーの間。
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Ete215宮殿見学を終え、いよいよ庭園に向かいます。
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Ete219珍しい木や南国の植物があります。
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Ete225マニエリスムの庭。ナポレオン、ジョセフィーヌとともにこの庭で宴を開いたといわれていわれています(左右に白い孔雀がいます)。

彫刻や噴水で飾られた10段の階段状のイタリア式のバロック庭園です。
Ete223庭ではこの宮殿に相応しいエレガントな白い孔雀が優雅に歩いています。
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Ete226階段状になった洞窟に大小の彫刻郡。それぞれ神や英雄、季節、大地、大気、川、風、度胸や愛情などの意味を示しているそうです。

よく見ると変わったポーズをしていています。
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Ete231中央には、ボッロメオ家の 紋章である白い一角獣が今にも空を駆け上るかのようです。
Ete232ちょっと気になるポーズが。
Ete236これは何を意味してるのでしょうね。お茶目で可愛らしいです。

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Ete237マッジョーレ湖をのぞむ景色はまさに空中庭園。
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Ete229歓声があがったので振り向くと、孔雀が羽を広げていました。
Ete240庭には色とりどりの色々な花が咲いていて、とても綺麗です。
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Ete245エレガントなイタリア庭園。
Ete246豪華な庭と湖がとても落ち着いた雰囲気。
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Ete251テラスからの風光明媚な景色を眺めます。ずっと眺めていたい美しさです。
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Ete257庭園には緑が溢れ、南国風の花の香りもして、気持ちがいいです。
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Ete261イタリア庭園に下りてみます。
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Ete265修復中ですが、またあのポーズが。
Ete270庭園のいたるところに見られるのが、三つの指輪が合わさった紋章です。三つの指輪はミラノの三大名家ヴィコンティ家、スフォルツァ家、ボッロメオ家をあらわすそうです。
Ete271植木鉢にも。
Ete269下の庭園から上の庭園を見たところ。
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Ete266鉄の花を手にしています。
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Ete268湖面まで美しい庭が続いています。イゾラ・ベッラから見たストレーザの街並み。
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Ete276庭園にあるカフェでお茶をします。
Ete277ゴミ箱にもミラノ3大名家の紋章が。
Ete279宮殿、庭園、植物、風景の美しさ・・・まさにその名の通りの美しい島でした。
Ete281宮殿を出て、乗船時間まで島を散歩します。
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Ete283遊覧船に乗ります。
Ete285離れがたい思いで島を去ります。
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Ete287ストレーザの町が見えてきました。
Ete289ストレーザに到着。
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Ete290ストレーザを発ち、北イタリアを南下します。

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2009-08-30

ロマンティック街道のフィナーレ!メルヘン王の夢の城、ノイシュバンシュタイン城へ

Ete401今日の宿泊場所、ノイシュバンシュタイン城の町シュヴァンガウ(白鳥の高原の意)のさらに山の上のホーエンシュヴァンガウ(高シュヴァンガウの意)に向かいます。
Ete402フラスコ画が書かれてある家。
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Ete403聖コロマン教会。ここからノイシュヴァンシュタイン城が違った角度で見られます。
Ete405ドイツで一番有名なお城、バイエルン国王ルートヴィヒ2世ノイシュヴァンシュタイン城

ルートヴィヒ2世が、17年の歳月と巨額の費用をつぎ込んで自分の夢を実現させようと、精魂こめて作った“白鳥城”と呼ばれる白亜の美しいお城。
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Ete411ホーエンシュヴァンガウ城もみえます。
Ete409町中に向かいます。
Ete413夕食をとって今日は休みます。(本日の走行距離:350キロ)
Ete414翌朝予約していたチケットを受け取ります。
Ete448町の中心から見えるホーエンシュヴァンガウ城

12世紀に築かれて荒れ果てていた城を、ルートヴィヒ2世の父、マクシミリアン2世がネオゴシック様式に再建し、夏の狩猟用の城にしました。

このお城でルートヴィヒ2世は弟オットーと幸せな子供時代を過ごしたそうです。

ノイシュヴァンシュタイン城は山の上にあるので、町の中心から馬車やミニバスで登ります。
Ete417_2ミニバスから降りて20分ほど歩いた場所にあるマリエン橋の中央から見えるノイシュバンシュタイン城。まさにロマンティック街道のフィナーレに相応しい美しい白亜の城です。
Image よく見るノイシュヴァンシュタイン城の写真はこちらなのですが、このアングルから見ようと思ったら、ヘリコプターなどでお城の反対側の岩山にいかないと見られないそうです。見るアングルによって全く異なるお城のように見えるのも、ノイシュヴァンシュタイン城の魅力のひとつだと思います。
Ete416ディズニーがシンデレラ城のモデルにしたというのも頷けますね。
Ete415ルートヴィヒ2世は侍医とふたりで夕方の散歩に出かけたのが最後となります。翌日水泳が得意だったはずの王の遺骸が、湖の浅瀬に浮かびます(侍医も溺死)。

衝撃的すぎる王の死に、世論は沸騰します。なぜか検死もほとんど行われぬまま、ルートヴィヒの遺体はミュンヘンの聖ミヒャエル教会に埋葬されました。生前の王が言っていた「私は自分にとっても、他人にとっても謎でありたい」という言葉さながらの死だったそうです。

ドイツ留学中でミュンヘン滞在中だった森鴎外(当時24歳)は、このドイツ王国を揺るがす大事件を知り、湖畔を訪ねています。そしてこの事件をモチーフに短編「うたかたの記」を書きます。
Ete42020分ほど登るとお城につきます。
Ete422途中の景色。ホーエンシュヴァンガウ城とアルプ湖
Ete423ノイシュヴァンシュタイン城の建築中、ルートヴィヒ2世は、このお城から進捗状況を見ていたそうです。
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Ete428内部は撮影禁止なので、外観だけの写真になります。

10年以上前にノイシュヴァンシュタイン城を見学したときには、お城の内部がちょっとけばけばしい印象を持ちましたが、今回は以前より落ち着いた雰囲気に感じられて好もしく思いました。
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Ete447_2町に戻ります。
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Ete450オーストリアとリヒテンシュタインを通ってスイスを目指します。








<関連記事>
六本木ヒルズでも開催!ドイツのクリスマスマーケット(ミュンヘン編)

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2009-08-25

“メルヘン王”ルートヴィヒ2世のリンダーホフ城へ

Ete297ルートヴィヒ2世リンダーホフ城に向かいます。
Ete300バイエルン国王マクシミリアン2世の息子ルートヴィヒ2世は、18歳にして王として即位しました。
Ludwig“最も美しい王”と呼ばれた美貌の孤独な王は、その並外れた生涯と、熱狂的と呼べる建築活動で“メルヘン王”として歴史に名をとどめています。
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Ete332厳しい山間の真ん中、人里離れたグラスヴァング渓谷にルートヴィヒ2世リンダーホフ城を建てました。1867年にベルサイユ宮殿を訪ねたことがきっかけだったそうです。

内部は撮影禁止なので写真はありませんが、玄関ホールを入ってすぐの広間の中央には、フランス国王ルイ14世の銅製の騎馬像があります。その頭上にルートヴィヒ2世のシンボルである光放つ王冠を飾り、ブルボン家の金言“すなわち、誰よりも尊大たれ”が刻まれ、ルートヴィヒ2世のブルボン王家への敬意が伺えます。
Ete328お城が見えてきました。
Ete327 リンダーホフ城は、王の身分にふさわしい立派なお城というよりは、プライベートな避難所、隠棲の場所として建造させたそうです。

ルートヴィヒ2世は自分の城を3つ(ノイシュヴァンシュタイン城、ヘレンキムゼー城、リンダーホフ城)作らせています。リンダーホフ城は、唯一ルートヴィヒ2世の生存中に完成したお城でした。リンダーホフ城だけが完成した理由は、王が早くここに住みたいと強く願い、築城の拡大を抑えたためと言われています。
Ete325リンダーホフ城は、ルートヴィヒ2世がは1886年にシュタルンベルク湖で悲劇的な最後を遂げるまで愛した滞在地です。グラスヴァング渓谷の森の中に佇む純白のお城は、王のロココ趣味の集大成と言われています。
Ete308リンダーホフ城の正面玄関から。
Ete324_2金色の花の神フローラと天使の噴水口は、水を32mの高さに噴き上げ、王の滞在中はいつも華やいだ雰囲気を庭園に与えていたそうです。

このお城の特に斬新なところの一つは、タンホイザー伝説の世界を現実化して“ヴィーナスの洞窟”とよばれる人口洞窟です。洞窟には電気仕掛けの波、色々な色のライトアップが出来る池があって、貝殻の形をした小船が浮かんでいます。現代でいうところのテーマパークを19世紀の半ばに自宅に作ってしまったのです。

もうひとつは、“魔法の食卓”。手動式のエレベーターが、一階のキッチンで料理された食事をテーブルごと2階の食堂に持ち上げてしまう仕掛けです。人嫌いの王はこうすれば食事を一人で楽しめ、召使達と会話をする必要はありませんでした。
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Ete30630段の大理石の人口の滝が、水遊びをするネプチューンたちの池へと流れ落ちています。背後のグラスヴァング渓谷の山々がリンダーホフ城の庭園の借景となっています。
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Ete316ムーア風東屋。
Ete318内部はエキゾチックです。
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Ete320孔雀の王座。広げた羽はボヘミアンガラスだそうです。
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Ete333次の目的地に向かいます。
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2009-02-16

ロワールワインを巡る旅⑨トゥーレーヌ(Touraine)地区、シノン城(Château de Chinon)

Hiver208_2 翌朝ソーミュール城に別れを告げて、
Hiver209 シノン城(Château de Chinon)に向かいます。
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Hiver211シノン(Chinon)に到着。
Hiver212シノン城(Château de Chinon)が見えてきました。シノン城(Château de Chinon)ロワールの古城の中で最も古いお城と言われています。
Hiver213お城といっても、シノン城は要壁に囲まれ、敵の侵入を妨げるため弓を引くための丸い塔が配置されており、敵の攻撃を妨げるための要塞の名残りが強く感じられました。 
Hiver214英仏百年戦争のさなか、神の啓示を受けた17歳のジャンヌ・ダルクは、シノン城に住んでいた王太子シャルル(のちのシャルル7世)を謁見します。

逸話では、シャルルは謁見の際、彼女を試すため側近たちの中に質素な服装で紛れていましたが、ジャンヌはすぐに本物のシャルルを見抜き、その前に跪いたそうです。

シャルルはこのことで、神のお告げにより参上したというジャンヌを信じ、兵を与えます。ジャンヌ・ダルクは、フランス国旗を掲げて軍隊の先頭に立ち、イギリス軍から陥落寸前だったオルレアンを開放します。そしてその後ランスで、この王太子を戴冠させます。

しかし2年後には、シャルル7世は、百年戦争を終わらせる政治的な駆け引きのために、イギリスに彼女を引き渡し、彼女を魔女として火あぶりの刑に処すことを認めます。

今では左の塔くらいしかお城の建物は残っていないそうです。

ロワール地方を南下して、ポワトゥー(Poitou)地方に向かいます。

<ロワール地方、トゥーレーヌ(Touraine)地区>

トゥールを中心としたロワール流域。
大西洋と大陸性の両方の影響を受けた気候に恵まれて、野菜、果物、花の産地。

シュナン・ブランの個性があるヴーヴレイシノンブルグイユなどが主な産地。
土壌は珪土質、粘土石灰質など多岐に渡り、ぶどう畑は日当たりの良い斜面にあるケースが多く、栽培条件に恵まれています。赤、白、ロゼ、クレマン(発泡性ワイン)を生産。

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2009-02-11

ロワールワインを巡る旅⑧ソーミュール城(Château de Saumur)

Hiver196_2ソーミュール(Saumur)の看板が見えてきました。
このあたりは王家の庭とも言われるだけあって、騎兵学校や国立乗馬学校、珍しい馬の博物館などがあるそうです。
Hiver197馬のオブジェ。
Hiver199ソーミュール城や町の教会は、このあたりで切り出された白い石灰岩で建造されたそうです。
Hiver198丘の上にそびえるソーミュール城が見えてきました。
Hiver200お城が見えてきました。
Hiver201ロワール河を、見下ろす小高い丘の上に佇むソーミュール城(Château de Saumur)

バランスのよい可憐なソーミュール城はロワールの古城の中でも人気があります。

このお城は、14世紀後半にアンジュ公のルイ1世が今の姿を造り上げたそうです。
お城の中には、装飾博物館、馬の博物館があるそうです。
Berrysaumur「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」にもお城とぶどう畑が描かれています。
Hiver202尖がっている塔の屋根が、一段と優雅さを感じさせます。この尖塔はアンジュ地方のお城の特徴だそうです。
Hiver204ソーミュールに宿泊しましたが、小さな町、季節柄ということもありなかなか適当なレストランが見つからず、ブラッセル(!)というレストランへ。名前の通り、ブリュッセルのムール貝のワイン蒸しが名物みたいでしたが、ムール貝はブリュッセルでいつでもいただけるので...
Hiver206アントルコットと、
Hiver207シュークルートを注文。
Hiver205ワインはグラスでソーミュールシノンをいただきました。

冬季は休業中ですが、ソーミュールメゾン・デュ・ヴァン(Maison du Vin)という、試飲も出来るインフォメーション・センターがあるそうです。

Maison du Vin de Saumur
Pascal BUSSON
Quai Lucien Gautier
49400 Saumur
Tel:02 41 38 45 83

☆今日の動画☆

France2で昨年の12月に放映されたワインを追い求める男達のドキュメンタリーChasseurs de Crus

フランスのグランヴァン収集家Michel Chasseuilの世界有数のカーヴの紹介(このカーブにカメラが入ったのは初めて)、世界中の珍しいワインを追い求めている輸入業者のClaude Gilois(白い髭の男性)、Olivier Poussier(2000年のソムリエ世界コンクールの優勝者、旧クラスマンの評価者の一人)がクリミア(ウクライナ)のマサンドラのぶどう畑と、ロシアの最後の皇帝ニコラス二世が造った、美味しく飲むことが可能な世界で一番古いヴィンテージワインがあるマサンドラ・コレクション(世界最大のオールドワイン・コレクションの一つで、その数は100万本を超えるといわれています)視察などの映像が続きます(カーブで彼らを案内している女性は、子供の頃母親と一緒にスターリンに呼ばれ、スターリンは彼女の母親に特別なワインを造ることを命じたそうです。彼女の造ったワインで誰かが頭が痛くなったり、お腹をこわしたりしたら娘を殺す(!)と言われたそうです)。

パリに戻り、Claude Giloisオテル・ド・クリヨン(Hôtel de Crillon)のソムリエに1948年のマサンドラを紹介し、最後に甲州ワインを求めて日本に向かいます(田崎真也さんも登場します。ちなみに日本についての映像は、16:35あたりから始まります)。フランス語ですが、ワインに興味がある方は楽しんでいただけると思います。

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2009-02-10

ロワールワインを巡る旅⑦アンジュ、ソーミュール(Anjou - Saumur)地区、アンジェ城

Hiver154アンジェに向かいます。
Hiver157世界遺産ロワール渓谷
Hiver159_2アンジェ城(Château d’Angers)の看板が見えてきました。
Hiver160アンジェ城のタピストリー
Hiver167_3アンジェは、フランスの3大ロゼワイン(①タヴェル・ロゼコート・ド・プロヴァンスロゼ・ダンジュの一つロゼ・ダンジュ(Rosé d'Anjou)でも有名です。

アンジェ城(Château d’Angers)は、周囲に直径18mの17の円塔を配した重厚なお城です。

Hiver16611世紀、アンジェ公が隣国の侵略を防ぐために建てたもので、1228年から1238年にかけて聖王ルイ9世によって再建されました。城壁は全長660メートルにも及ぶそうです。
Hiver164_2美しい庭園。
Hiver168
Hiver169庭の一角には15世紀初めに建てられた礼拝堂もあります。
Hiver170_2「黙示録のタピストリー」を展示するための特別に作られた展示室。
Hiver171ヨハネの黙示録が描かれた14世紀の「黙示録のタピストリー(La Tapisserie de l'Apocalypse)」

縦5メートル、長さ107メートルにおよぶ巨大な作品です。フランスで現存する最古のタピストリーだそうです。
Hiver180 ヨハネの黙示録は、ビジュアルに表現するのが難しい記述が多いにもかかわらず、想像力たくましく見事にタピストリーに表現されていて、見ていて飽きません。
Hiver172聖ヨハネ本を食べる(Saint Jean mange le Livre)。
Hiver173聖ミカエルとドラゴンの戦い(Saint Michel combat le Dragon)。
Hiver174女性が翼を受け取る(La Femme reçoit des ailes)。
Hiver175海の獣(La Bête de la mer)。
Hiver176ドラゴンの礼拝(L'adoration du Dragon)。
Hiver177獣の礼拝(L'adoration de la Bête)。
Hiver178あふれる桶(La cuve déborde)。
Hiver179悪魔の侵略によるバビロンの崩壊(La chute de Babylone envahie par les démons)。
Hiver191城壁は、上を回遊することができるようになっています。
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Hiver193小さなぶどう畑もありました。
Hiver190メーヌ川
Hiver194サン・モーリス大聖堂
Hiver163 アンジェには、アンジェで生まれたオレンジのリキュール、コアントロー博物館もあるそうです。
Hiver162ソーミュールに向かいます。








<ロワール地方、アンジュ・ソーミュール(Anjou - Saumur)地区>


ロワール地方中央部。アンジェ市とソーミュール市からなる地域。赤、白、ロゼ、クレマン(発泡性ワイン)を生産。ソーミュールロゼ・ダンジュコトー・デュ・レイヨンの貴腐ワインが有名。

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2009-02-04

ロワールワインを巡る旅④アンドルに煌くダイヤモンド!アゼ・ル・リドー城とユッセ城

Hiver103 アゼ・ル・リドー(Azay-le-Rideau)村に到着。
Hiver104フランソワ1世が即位の直後、アゼ地方の領主となったジル・ベルトロが当時の時代に合った城の建設に着手。ジル・ベルトロは当時の国王の財務卿であったサンブランセと親戚関係にあり、その後華々しく昇進していき、財務総監を経て、フランス財務官に任命されます。新築の城は彼の輝かしいキャリアを象徴したものでした。

しかし、サンブランセが横領の罪で投獄され、処刑されると、同じ容疑がベルトロにもかけられ、彼は未完成の城を妻を残したまま逃亡します。

フランソワ1世は、イタリア遠征の当時の戦友アントワンヌ・ラファンにアゼの領地を与え、城も18世紀末までその子孫が所有していました。
1791年、フランス革命の最中、シャルル・ド=ビヤンクール伯爵が領地を買い取り、その後も数世代に渡って、中世の城塞の名残りがのこる部分は取り壊し、ロマンティックな庭園を造るなどの改築が重ねられ、川面に浮かぶ調和のとれたルネッサンス様式の美しいお城になりました。

20世紀を目前にし没落した伯爵は、領地、調度品を手放し、最終的には城も売却しました。城は1905年より国の所有となっています。
Hiver105こじんまりしていていますが、ルネッサンス様式の華麗なお城です。
Hiver106アゼ・ル・リドー城の魅力が再発見されたのは、ロマン主義の世代です。バルザックはこの城を「アンドル(ロワール河支流)にきらめくダイヤモンド(Un diamant taillé à facettes, serti par l'Indre)」と呼んだそうです。
Hiver107お城から外を眺めます。
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Hiver109火とかげはフランソワ一世の紋章です。
以前ご紹介したシャルトル大聖堂のように、夏の夜にはお城をライトアップするショーを開催しているようです。
Hiver112_2アゼ・ル・リドー城から比較的近かったので、以前訪れてお気に入りだった、 “眠れる森の美女”のお城のモデルと言われるユッセ城(Chateau d'Usse)へ。
Hiver113アンドル川越しに見ると、全体像が見えます。
今でもお姫様が住んでいそうな雰囲気を漂わせています。
Nantes今日の宿泊先の町、ナント(Nantes)に向かいます(地図:フランス政府観光局)。

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2008-07-27

ヴォー・ル・ヴィコント城(Vaux Le Vicomte)のキャンドルナイト

Vicomte1_2パリ近郊のヴォー・ル・ヴィコント城(Vaux Le Vicomte)に行きました。
Vicomte2このお城では、毎年5月から10月初旬まで、キャンドルに灯されたお城の見学ツアーが開催されます。この期間、お城およびフランス式庭園は2000本以上のキャンドルでライトアップされます。
Vicomte3 駐車場から見たヴォー・ル・ヴィコント城。かつてはここから貴族達が続々と入っていったのでしょうね。
Vicomte4 キャンドルナイトは8時からですが、お城以外は2時以降から入場できます。城内にはレストランもあります。
Vicomte5お土産物屋さん。遅くまで営業していました。
Vicomte617世紀バロックスタイルのヴォー・ル・ヴィコント城。ルイ14世の王室財務長官だったニコラ・フーケ(Nicolas Fouquet)が、当時のまだそれほど有名ではなかった三人の大芸術家ルイ・ル・ヴォー(建築家)、シャルル・ル・ブラン(装飾家)、アンドレ・ル・ノートル(造園家)に自ら依頼して、5年の歳月をかけて建てたお城です。

ニコラ・フーケは1661年の8月17日にルイ14世のためにこのお城で絢爛たる祝宴を催します。ニコラ・フーケは洗練された教養人だったそう。若きルイ14世はこのお城の洗練された美しさと豪華さ、祝宴の成功に嫉妬心を覚え、19日後(その日に逮捕しようと思ったらしいですが、母親に止められたそうです)にニコラ・フーケに対して国家財産横領罪をでっち上げ、不当な裁判で終身刑にします。

結局ニコラ・フーケは生涯牢獄で暮らし、逮捕後ルイ14世は、ルイ・ル・ヴォーシャルル・ル・ブランアンドレ・ル・ノートルにヴォー・ル・ヴィコント城より豪華で華麗な城を建てるよう依頼します。
それがヴェルサイユ宮殿です。つまりヴォー・ル・ヴィコント城をニコラ・フーケが建てていなければ、現在のような絢爛豪華なヴェルサイユ宮殿は存在しなかったかもしれないのです。
Vicomte78時になったので、お城の見学を始めます。大広間。
Vicomte9フーケやフーケ一族の肖像画が飾られている廊下。
Vicomte10ニコラ・フーケの肖像。
Vicomte12 なかなか素敵な人です。
Vicomte11いくつかこのような、顔の部分だけを塗りつぶした肖像画がありました。ニコラ・フーケだけが終身刑になりましたが、親族と思われたくないために一族が自分で塗りつぶしたのでしょうか。法曹界の家に生まれたそうなので、親族も苦労したのかもしれません。
Vicomte14絵画が飾られている部屋。
Vicomte17 ニコラ・プッサンの「マナの収集」。フーケの逮捕後、王は最も豪華な調度品、絵画などを没収し、ルーブルやヴェルサイユ宮殿に運ばせたそうですが、12年後にはフーケ夫人に返還されたそうです。
Vicomte16ちょっと怖いです。
Vicomte18フーケ家の紋章のリス。ニコラ・フーケの父は、よじ登ることが好きなリスにちなんで、家紋の銘句を「登れぬところがあろうか?」としたそうです。このリスは城内のいたるところで見つけられます。
Vicomte19フーケの寝室。
Vicomte21 丸天井に見せかけたトロンプ・ルイユ(騙し絵)。

Vicomte20フーケの寝室の装飾は、2階にある居室の中で唯一、当時のままの姿で保存されているそうです。
Vicomte23フーケ夫人の小私室。

キャンドルに明かりに照らされる部屋はとても美しく、幻想的でした。この部屋の壁は、シャルル・ル・ブランの考案により鏡で覆われていたそうです。それが1650年代に大流行して、後のヴェルサイユ宮殿の鏡の回廊の誕生へつながっていったそうです。

残念ながら当時の装飾は残っていません。
Vicomte24シャルル・ル・ブランの「愛の翼に鋏を入れる美」。

ミネルヴァ(知性の神)と、リスを伴って松明を掲げるヒュメナイオス(結婚の神)の助けを借りて、飛び去らぬようにアモル(愛の神、英語名:キューピッド)に鋏を入れるフーケ夫人の顔立ちをしたヴィーナス(美の女神)が描かれています。
Vicomte25フーケ夫人の小私室のガラス窓からの庭の眺め。ガラス窓は当時のままだそうです。
Vicomte28ルイ15世風寝室。実際ルイ15世が使用した部屋ではなく、内装や調度品の様式にちなんでそう呼ばれているそうです。
Vicomte29正方形の大間。左の絵は、シャルル・ル・ブランが描いたニコラ・フーケの肖像画。

右側に見えるルイ14世の胸像がまるでフーケをにらんでいるようです。
Vicomte26ル・ノートルの最初のフランス式庭園。刺繍のような花壇、彫像、泉水、洞窟、遠近法を完璧にしています。
Vicomte33ミューズ(女神)の間(フーケの居室)。
Vicomte35 天井折上げに施された画はイタリアから戻ってきたばかりの油の乗ったシャルル・ル・ブランが描いた9人のミューズが描かれています。
Vicomte34仮面を片手に胸をあらわにしたタレイア(喜劇のミューズ)。
Vicomte36 中央の天井画は「忠誠の勝利」。
Vicomte39テラスからの眺め。
Vicomte41遊戯の間。昼間は沢山の光が差し込み明るい部屋だそうです。
Vicomte42シャルル・ル・ブランの「眠りの女神」の天井画。雲の上でまどろむ女神。
Vicomte40リスを脅かしているように描かれた「蛇」は歴史家の関心の的になっているそうです。フーケ失脚の立役者であるコルベールの紋章が蛇だからそうです。失脚後に装飾に織り込まれたのか、フーケ自身が敵対者の紋章とは異なる何らかの意味を持たせて織り込ませたのか。この謎は今も解明されていないそうです。
Vicomte45遊戯の間は小さめの部屋ですが、洗練された美しい部屋です。
Vicomte74ヘラクレスの控えの間の、シャルル・ル・ブランによる権力と成功の象徴「ヘラクレスの神格化」の天井画。向かって左の空に、オリンポス山でヘラクレスを迎えるユピテル、ユノー、ディアナ、右には、勝利の女神によって冠を受けるヘラクレスが描かれています。
Vicomte47王の控えの間。フーケはルイ14世に忠誠を尽くしていたそうで、お城の中には、王の彫像や絵が沢山ありました。
Vicomte48王様の部屋みたいです。当時の若きルイ14世が嫉妬した気持ちがわかります。
Vicomte31プララン(フーケの領地を手に入れた伯爵)の肖像画がある、プラランの寝室。
Vicomte50王の寝室のシャルル・ル・ブランによる天井画「時に支えられた真実の勝利」。
Vicomte51シャルル・ル・ブラン構想の、バロック様式による壮麗な装飾は王の寝室にふさわしい美しさです。
Vicomte52天井折上げの装飾。
Vicomte53貴族のお城では、城主は最も美しい部屋を国王が滞在する場合に備えて特別な寝室を用意していたそうです。フーケもこの部屋をルイ14世のために用意していましたが、近いうちにフーケを投獄しようと思っていた王は、この部屋には泊らず、結局この部屋は使われることはなかったそうです。財を投げうってまで夜会を開き忠誠心を表したつもりが、王に脅威に感じられて投獄されてしまうとは、皮肉な結果ですね。
ベッドの左右にあるものは17世紀の日本製漆塗りの小箪笥。
Vicomte56配膳室。史上最初の食卓だそうです。
フランスで食事の場所を用意するようになったのは、17世紀なかばに入ってからだそう。それまでは城主の客人も食事は各部屋に移動式のテーブルを置いて食事をしていたそうです。
Vicomte57
Vicomte59厨房。8月17日の夜会の花火、噴水、ダンス、料理をはじめ采配していた人が、執事長であったヴァテールだそうです。(ジェラール・ドパルデューの「宮廷料理人ヴァテール」のヴァテールです)。ホイップクリームで有名なシャンティイクリームはこの夜会で発明されたものだそうです。
Vicomte61Vicomte58ヴァテールはフーケの逮捕によって亡命を余儀なくされ、帰国後はコンデ公に仕え、シャンテイイの事件(鮮魚が定刻に到着しなかったこと)で、自殺してしまいます。

Vicomte60地階は厨房やワインの貯蔵庫になっていて、ヴァテールが働いていた様子が窺い知ることができました。
Vicomte63フーケの牢屋には同時期鉄仮面がいたそうです。
フーケの投獄の件をもとにデュマは鉄仮面を書いたといわれていました(実際は事実無根だったそうですが)、それの映画化が「仮面の男」です。実際このお城の地下には牢屋があり、鉄仮面がいたという噂があるそうです。
Vicomte62地下ではル・ノートルの展示会がありました。
Vicomte64段々日が落ちてきました。
Vicomte66ヴォルテールがこの夜会について「8月17日の夜6時にフーケは栄光の真っ只中にいたが、夜2時過ぎには命運が尽きていた」という言葉を残しています。
Vicomte68 フーケは牢獄の中で、「そこは、私が主たる居城としていた地だった。私が築いた地位や財産にふさわしい痕跡たるものを残しておきたかった」と書き綴っています。
Vicomte69お城も庭も落ち着いた感じで、フーケのセンスが感じられました。
Vicomte70夜会の当日は、日が暮れると花火が打ち上げられたそう。
Vicomte71庭園の中央近くのテラスでは、夜会で上演されたモリエールの「はた迷惑な人々」を再現していました。
Vicomte72ルイ14世が嫉妬した夜会の雰囲気を少し味わえた気がします。

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