イル・ド・フランス

2010-06-16

ゴッホの理解者であり主治医だったガシェ医師の家(La Maison du Docteur Gachet)へ

Mai18オヴェールの外れの高台にあるガシェ医師の家へ。
オヴェールに到着し、医師に会って12日後に描いた絵“ガシェ医師の肖像”。

ゴッホは弟テオへの手紙に「憂鬱さを強調してガシェさんを描いた」と綴っています。

ガシェ医師は精神科医でもありましたが、彼の病院はパリにあり、精神科だけではなく内科も診る総合医でした。彼は水曜日から土曜日までパリで働き、土曜の夕方から火曜日は自宅のあるオヴェールに帰り、週末はゴッホを診ていたそうです。

ゴッホは町の高台に立つガシェ医師の家で、ガシェ医師の肖像画を始め、庭や家族の絵を描きました。
Mai19庭には画家達が書いた場所に透明のパネルが置いてあります。セザンヌもピサロにガシェ医師を紹介されオヴェール・シュール・オワーズに移り住んでいます。セザンヌの“ガシェ医師の家”
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Mai24オヴェールの環境はゴッホにひと時の安堵を与え、ゴッホは精力的に絵を描きました。
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自身も画家でもあり、ピサロやセザンヌなど数多くの画家たちと交流のあった精神科医、ガシェ医師。 コローやドーミエ、1870年になるとピサロ、セザンヌ、ルノワールらがこの町に移り住んできて、ガシェ医師宅に集うようになります。
心身共に病み疲れたゴッホが、この町に姿を現すのは、1890年5月のことでした。ゴッホはたびたびこの家で食事に招かれていました。

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お花でいっぱいの庭の美しさも必見です。












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ゴッホの“ガシェ医師の庭で”(オルセー美術館)。

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Mademoiselle_2ゴッホの“庭のガシェ嬢”(オルセー美術館)。

Mai37地上階には、印象派の画家達が集ったサロンが、当時のまま残されています。
1階は、ガシェ医師と、ゴッホとにまつわるものが展示されています。
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Mai40ゴッホは、弟テオに宛てた手紙の中で、”彼(ガシェ医師)は、親友のようであり、また兄のような存在。僕達は、どこか似たところがある。”と語っていたそうです。


























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Mai44ガシェ医師の人となりや、多くの芸術家の拠り所となった医師の、見識の高さ、センスの良さが伺える空間でした。
Mai47ゴッホが絵画を制作した年月は10年間だけです。そしてその10年の中で、オヴェールに暮らした70日間が最も作品の点数が多いと言われています。オヴェールの町を訪れて、点数の多さだけでなく、ここで描いた絵画を鑑賞すると、ここでのゴッホは画家人生で最も充実し、幸福だった日々だったのだと、改めて感じました。
Mai50パリを通って帰ります。

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2010-06-04

世界中のゴッホファンの巡礼の地、オヴェール・シュール・オワーズへ

Juin_2パリから北西に約30キロ。オワーズ川(L’Oise)を望むオヴェール・シュル・オワーズは、印象派の画家達に愛されたのどかな田舎町です。南フランスのサン・レミからゴッホオヴェール・シュル・オワーズにやってきたのは1890年の5月20日、ゴッホが37歳の時です。

37年の生涯で、ゴッホが画家だったのは、27才からの10年間です。そして今日、私たちが目にするゴッホの作品は、最期の約3年の間に描かれたものが大半です。

そしてオヴェール・シュール・オワーズは、天賦の才能に恵まれながら37歳という短い生涯の終わりを迎えなければならなかったゴッホの終焉の地です。
Juin01ゴッホ『オヴェールの教会』の教会が見えてきました。
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Juin02ゴッホが人生の最後に住んだラヴー亭(Auberge Ravoux)

サン・レミの精神科病院からゴッホがこの町に移ってきたのは、ピサロが友人であるゴッホを病院に入れるよりも、精神科の医師であり、美術収集家でもあるガシェ医師の保護の下で、自由に絵を描かせてあげたいということからでした。

ゴッホは自殺するまでの2カ月間、晩年の傑作といわれる『オヴェールの教会』『カラスのいる麦畑』など、この町の建物や風景をモティーフにした70点あまりもの作品を描きました。

ゴッホも食事をした1階のカフェは現在レストランとして営業しています。
Juin03“画家のフィンセント・ヴァン・ゴッホは、この家に住み1890年の7月29日に亡くなりました”と書かれています。
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Juin08_3ラヴー亭は面倒見の良い親切ラヴーさんの経営により、多くの村人や村に集まる芸術家などが集まりにぎわっていました。人付き合いが苦手だったゴッホも表面上は容易に溶け込むことが出来たようで、ラヴーさんの娘、アドリーヌさんの絵をはじめたくさんの土地の人の肖像画も残されています。
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Juin06このラヴー亭の4畳ほどの屋根裏がゴッホの部屋。現在は元通りきれいに改修されゴッホ博物館として一般公開されています。

薄暗い階段を上がっていくと、小さな明かり取りの窓がある小さな部屋に、ぽつんと椅子が置かれています。

ゴッホは多くの作品を残しながら生前売れた絵はわずかに一枚。生活はすべて唯一の理解者、弟テオに頼りきっていました。できるだけ弟に負担をかけたくない彼にとって、パリにほど近いこのオヴェールは、格安の下宿料と、親身になって相談に乗ってくれる医師、そして絶好のモチーフを得ることができ、気兼ねなく安定した暮らしが手に入るはずでした。

6月初め、テオは、今の仕事が嫌になり自分で店を持つことを考えているという手紙をゴッホに送ります。そしてその手紙には、ゴッホに対して、近いうちに二人とも生活費を切り詰めなくてはいけないだろうというメッセージが入っていました。この知らせにゴッホはショックを受け、「自分の足でさえしっかりと立てず不安定なのに、僕の人生ももう根元までもだめになった」という言葉を残しています。

そして、7月27日オヴェールの麦畑でゴッホは自らの胸をピストルで撃ちます。しかし死に切れず、この部屋にたどり着き、2日後の7月29日早朝、彼の最も良き理解者であった弟テオに見守られ、37歳の短い生涯を閉じます。
Juin07_2隣の部屋。パイプベッドと、洗面台などが置かれた簡素な部屋。
Mai17_3ゴッホが絵の題材としたであろう風景の残る辺りを散策。
Juin09_6前方の階段は、

Juin10_2 『(5人の人物と)オヴェールの階段』の階段です。
Juin11オヴェールの美しい風景は、ゴッホを元気にし、亡くなる前の2ケ月、ゴッホは油彩・デッサンをほぼ一日に一点のペースで精力的に作品を仕上げています。
Mai16_2 ラヴー亭の裏手から丘へ登っていくと、
Mai413世紀に建てられたオワーズ川を見下ろす丘の中腹にある石造りのノートルダム教会。
ロマネスク様式にゴシック様式が混合されたもので、小さいながらも端正な教会です。
Mai13_2ゴッホがオヴェールに来て2週間後に製作した『オヴェールの教会』のパネルが手前にあります。大地の生命力を感じさせる鮮やかな色彩、筆の勢い、安定感から精神状態が良かったのだと感じさせます。
Juin12ゴッホが眠る墓地へ行く道は、ずっと麦畑の中です。(絵はゴッホ『雨』)
Juin13劇的な最期を遂げたゴッホと、兄の才能を最後まで信じ、面倒を見たゴッホを追うように兄の死後から半年後に亡くなった弟テオの墓は、現在のゴッホの絵の価格とは無縁の質素なものです。2つ並んで共同墓地の片隅に仲良く並んでいます。お墓の周りのアイビーはガシェ医師の家から持ってきたもので、兄弟の深い絆を象徴しているようです。
Mai8『カラスのいる麦畑』を始め、ゴッホがたくさん描いた麦畑のある風景が墓地近くに広がっています。見渡す限り麦畑。
Mai6ゴッホがピストル自殺を図ったのがこの麦畑と言われています。
Mai7『カラスのいる麦畑』。亡くなる直前に描かれた麦畑は金色に輝いています。亡くなる直前に描かれた絵ということで、この絵に狂気を感じるという人が多いですが、私には狂気は全く感じられません。ゴッホの死には謎が多いので、本当の理由はわからないですが、筆遣い・色彩も躍動感を感じられ、ゴッホが精神状態が良く、絵を描く喜び・自信を感じます。これから更に素晴らしい作品も描けたゴッホが道半ばに亡くなったことは本当に残念です。
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Mai10ゴッホは弟一家を休暇に呼びたがった程、このオヴェールの町が気に入っていたそうです。

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2007-11-25

庭全体がモネの傑作!秋のジヴェルニーへ

Givernymai17 10月にジヴェルニーのモネの家を訪れました(モネの家。写真は今年の5月撮影)。フランスの印象派の巨匠クロード・モネは、パリで生まれ、その後ノルマンディのル・アーブルに移り、43歳から86歳の生涯を閉じるまで、まさに生涯の半分をジヴェルニーのアトリエのある家で過ごし、創作以外のほとんどの時間はこの庭の庭仕事にあてていたそうです。

家の中のにはモネの色彩に溢れているキッチンやダイニングルームや、睡蓮の連作を手がけたアトリエが公開されています(以前訪れた時には写真撮影が出来たのですが、現在は撮影禁止となっていました)。また、モネが愛し、多大な影響を受けた400点あまりの貴重な日本の浮世絵コレクションが展示されています。印象派の画家たちが活躍していたパリでは、日本の浮世絵を始めとする日本文化がもてはやされ、高価だった浮世絵を持っていることは成功のステータスでもあったそうです。ゴッホなどの生前に成功していなかった画家達のコレクションと比べると、いかにモネが生前に成功していたかが改めてわかります。
Giverny02 一番の見所はなんといっても、四季折々の花が咲き乱れる庭園です。モネは自分のキャンバスの上に絵を描く様に、自分で草花、木の種類を選んで庭に植え、自分の庭を“パレットのような庭“、“生きた美術館”と呼び、その日々刻々変化を見せる花、水、光の絵のモチーフ、花の庭園、睡蓮のある水の庭園を自分の最高傑作だと言っていたそうです。
Giverny03朝靄がかかっていて、幻想的な雰囲気でした。
Giverny0410月に訪問した時の方が、5月に訪れた時より色々な花が咲き乱れていて、綺麗でした。
Giverny05毎回驚かされるのは花の種類の多さです。
Giverny12一見無造作に花が咲いている印象ですが、これは実は意図的に無造作な印象となるよう計算されているそうです。左右対称というような人工的な造形を好まなかったモネの好みが反映されています。
Giverny15コスモス、ダリアが満開でした。オレンジのコスモスが綺麗!
Giverny14年々落ちて行く視力に悩まされ続けた晩年のモネにとって、庭は必ず新たな印象と感動を与えてくれた理想のモチーフだったそうです。
Giverny09モネの代表的なモチーフの1つである睡蓮のある水の庭園。大きな柳も印象的です。一見日本人にとって懐かしい風景ですが、やはりこれはモネの世界です。
Giverny07季節、時間、気候によって微妙に変化するさまがモネの睡蓮に描かれています。最終的に辿り着くのは、睡蓮と水に映る光だけの探究と言われています。
Giverny08この池を囲むように歩道が作られていて、散策できるようになっています。朝靄のおかげでモネの絵の中を歩いているかのような気分になりました。
Orangerie02オランジュリー美術館の睡蓮の一部。
Giverny11秋の庭もなかなか良かったです。
Givernymai13モネの家の2階から見る庭の景色。(以下の写真は5月に撮影したものです。10月の雰囲気とは異なる印象を感じていただけると思います)
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Givernymai06_2 池の周りの歩道。

Givernymai16_2今まで春から初夏にかけての時期(1番綺麗な時期だと言われています)、5月、そして今回10月と訪れたのですが、異なる時期に訪れることで、季節によって移り変わるモネの世界に浸ることができました。
Orangerie01パリのオランジュリー美術館では、6年間にも及ぶ改装期間を経て今年の5月から、生前モネが望んでいた通り、天窓からの陽光に満ちた部屋で睡蓮を観賞することが出来るようになりました。

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